2021年3月6日土曜日

ミス放置を続ける東洋経済 西村豪太編集長が片付けるべき「大きな宿題」

記事中のミスを放置すべきではない。間違い指摘には真摯に対応すべきだ。メディアとして当たり前のことを繰り返し訴えてきたのは、それを守れないメディアが当たり前に存在するからだ。週刊東洋経済もその1つ。

夕暮れ時の空

高橋由里氏、西村豪太氏、山田俊浩氏、そして再登板した西村氏。歴代編集長が連綿とミス放置の伝統を受け継いでいる。その西村氏が3月13日号の「編集部から」で気になることを書いていた。全文は以下の通り。

【東洋経済の記事】

新聞でも雑誌でも、「周年もの」で出色の記事を作るのはなかなか難しいものです。それでもやる意味があるのは、都合の悪いことは視界に入らない習性が人間にはあるからだと考えています。その果ての忘却を防ぐための仕掛けが「周年もの」なのではないでしょうか。

「3.11」から間もなく10年が経ちます。福島原発の処理水、除染土といった問題はいまだ片付かず、22ページからの記事にあるように廃炉の道筋もついていません。社会が関心を失えば、限られた当事者による判断でとんでもない間違いをしてしまうこともありえます。われわれは大きな「宿題」の存在を折に触れて思い出す必要があります


◎異論はないが…

都合の悪いことは視界に入らない習性が人間にはある」と西村氏は言う。間違い指摘を当たり前のように無視して記事中のミスを放置する東洋経済の姿は「都合」が「悪い」から「視界に入らない」ようにしているのか。あるいは「視界」に入っているのに悪しき伝統を守っているのか。

ミス放置の問題の1つは、意見に説得力がなくなってしまうことだ。「都合の悪いことは視界に入らない習性が人間にはある」「忘却を防ぐための仕掛けが『周年もの』」などと書いても「記事中のミスを平気で放置する編集長に言われても…」となってしまう。

東洋経済は2月13日号で「郵政崩壊~成長戦略もガバナンスも落第点」という特集を組んでいた。「ミス放置が当たり前の東洋経済はメディアとして落第点ではないのか。他者に落第点を付ける前にやるべきことがあるはずだ」と返されたら西村氏は何と答えるのか。

社会が関心を失えば、限られた当事者による判断でとんでもない間違いをしてしまうこともありえます」と西村氏は言う。その「とんでもない間違い」を東洋経済は続けている。

われわれは大きな『宿題』の存在を折に触れて思い出す必要があります」と本当に思うのならば、身近な「宿題」をまず片付けるべきだ。間違い指摘の無視を止め、誤りがあればきちんと訂正する。それができないまま他者に注文を付けても虚しいだけだ。

「過ちては改むるに憚ること勿れ」

西村氏には改めてこの言葉を贈りたい。「大きな『宿題』の存在」を西村氏は思い出せるだろうか。


※今回取り上げた記事「編集部から


※記事の評価は見送る。西村豪太氏への評価はF(根本的な欠陥あり)を据え置く。西村氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

道を踏み外した東洋経済 西村豪太編集長代理へ贈る言葉
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/12/blog-post_4.html

「過ちて改めざる」東洋経済の西村豪太新編集長への手紙
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_4.html

訂正記事を訂正できるか 東洋経済 西村豪太編集長に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_25.html

「巨大地震で円暴落」?東洋経済 西村豪太編集長のウブさ
http://kagehidehiko.blogspot.com/2017/01/blog-post_19.html

金融庁批判の資格なし 東洋経済の西村豪太編集長
http://kagehidehiko.blogspot.com/2017/03/blog-post_19.html

「貿易赤字の解消」で正解?東洋経済 西村豪太編集長に問う
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/06/blog-post_72.html

編集長時代はミス黙殺 コラムニストとしても苦しい東洋経済 西村豪太氏https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/12/blog-post_24.html

0 件のコメント:

コメントを投稿