17日付の東洋経済オンラインに載った 「『高学歴の真の価値』を知る人と知らない人の差~自分にとっての『最適』を探す旅こそが人生」という記事はツッコミどころが多かった。中身を見ながら具体的に指摘したい。記事は「高校生Kすけ」の相談に答える形を取っているが、まともな答えは示していない。まず相談を見ておこう。
大バエ灯台からの景色 |
【東洋経済オンラインの記事】
大学への進学のことで相談です。いい学歴を得て将来、楽をしたいと考えていますが、自分の今の偏差値や模擬テストの結果を見るとどうしてもトップのランクの大学には行けそうもありません。なお、数字や理科系は苦手なので文系を想定しています。
浪人をしていい大学に入るのが最適な選択肢なのか、それとも妥協した大学にとりあえず入り、なにか資格を取得して頑張るべきか、その2つの選択肢ならばどちらを選択するべきだと思いますか?
高校生 Kすけ
◇ ◇ ◇
「2つの選択肢ならばどちらを選択するべきだと思いますか?」と「高校生Kすけ」は尋ねている。ここは押さえた上で筆者である安井元康氏の見解を見てほしい。
【東洋経済オンラインの記事】
詳細は拙著『「学歴なんて関係ない」はやっぱり正しい』もご参照いただければと思いますが、いわゆるいい大学に入ったからといって将来、楽ができるわけではありません。
受験の結果としての学歴というのは、暗記を中心とした特定のルールにおける優劣という側面もあり、そういった意味では学歴とは単なる受験歴のことであり、仕事においてまたは社会において必要とされるスキルを保証するものではありません。
むしろどの大学を出たかよりも、受験なりの経験を通じて、順序立てて物事を考えていけば正解にたどり着けるということを実感として蓄積したり、勉強や努力をするという癖をつけることにより、仕事において必要とされるスキルを獲得する基本的な姿勢を身に付けることのほうが重要だったりします。
就職やその後の仕事においても学歴が高いから万々歳とはいかず、就職時の選考書類が通りやすいというような、つまり入り口に立てる可能性が高まるという意味でのドアノック効果は期待できますが、その先は人間力や行動力、探求心やコミュニケーション能力などがより重要視されます
したがって、Kすけさんが期待するような「いい学歴=将来楽ができる」という構図はそもそも幻想でしかありません。
ですから、いい学歴を得るためだけに浪人をしてご自身の貴重な時間やお金を費やす価値があるかは慎重に考える必要があります。
◎「慎重に考える」が答え?
「『いい学歴=将来楽ができる』という構図はそもそも幻想でしかありません」と安井氏は断言するが、根拠は示していない。「いい学歴=将来(必ず)楽ができる」が成り立たないのは分かる。問題は確率だ。「学歴」を高めても「将来楽ができる」可能性は高まらないというデータがあるなら示すべきだ。それなしに「幻想でしかありません」と言い切っても説得力はない。
「『いい学歴=将来楽ができる』という構図」が「幻想」であれば、相談への答えとしては「いい学歴を得るためだけに浪人をしてご自身の貴重な時間やお金を費やす価値」はないとなるのが自然だ。あるいは「楽ができる可能性に差はない。だから、どちらを選んでもいい」か。なのに安井氏は「慎重に考える必要があります」で逃げている。
自分ならば、迷わず「浪人しろ」と答える。「入り口に立てる可能性が高まるという意味でのドアノック効果は期待できます」と安井氏も書いている。つまり「いい学歴」は就職という重要な局面で役に立つ可能性が高い。「もう受験勉強はうんざり」というのならば別だが、本人が迷っている場合は「浪人をしていい大学に入るのが最適な選択肢」だ。
何の「資格を取得」しようとしているのか分からないが、「浪人をしていい大学に入る」目標を達成できなかったとしても「資格を取得」する道が閉ざされる訳ではない。1年の浪人が大きなハンディになるとも思えない。浪人しても「いい大学に入る」ことはできなかったのだから諦めもつく。しかし「妥協した大学にとりあえず」入った場合には「『浪人をしていい大学』に行っていれば…」との思いを引きずって生きてくだろう。これは避けたい。
そして「ドアノック効果」だ。大手商社で働きたいという気持ちが大学に入って生じたとしよう。大手商社が実質的に「いい大学」にしか門戸を開いていない場合、「ドアノック効果」を得られなかったために道が閉ざされてしまう。
「将来の夢は自分のラーメン店を持つこと」などと決まっているのならば「いい大学」に行く意味はほぼない。決まっていない場合「ドアノック効果」を手に入れるためにも「いい大学」を目指すのは悪くない。浪人して英語力などが高まれば、それはそれで「将来」のためになる。受験に失敗しても「貴重な時間やお金」が全て無駄になる訳ではない。
記事の終盤を見ていこう。
【東洋経済オンラインの記事】
自分にとって正解と思える道を進んだほうがいい
自分にとっての「いい」を探す旅こそが人生ですから、さまざまなリサーチなりを通じて試行錯誤して自ら探すべきなのです。Kすけさんはまだ高校生ですから、幸いにして試行錯誤する時間も余裕もまだまだあるはずですし、挑戦して失敗しても何度でもやり返しがきく年齢です。
若いうちにいろいろと試行錯誤したほうが、自分なりの人生のさまざまな側面における判断基準が磨かれますから、長い人生においては若いうちの試行錯誤が必ず役に立つはずです。
反対に若いうちに試行錯誤せず、何となく世間の言う「いい」に流される人生を送ってしまっては、そういった自分なりの判断基準が磨かれませんから、挑戦しにくい歳になって壁にぶつかり苦労してしまうものです。
いろいろと経験し、勉強し、自分なりの価値観と軸を形成し、そのうえで自分にとって正解と思える道を進むのが大人の人生です。
Kすけさんはその一歩手前ですから、まずは入り口における試行錯誤を開始してみてください。Kすけさんが世間の基準に惑わされず、ご自身の信じる道を見つけ、その道に邁進されるであろうことを応援しております。
◎特に間違ったことは言っていないが…
上記のくだりに異論はない。だが相談の答えとして及第点は与えられない。「入り口における試行錯誤を開始してみてください」と安井氏は言うが「試行錯誤」のパターンは無数にある。「浪人をしていい大学に入る」のも「妥協した大学にとりあえず入り、なにか資格を取得して頑張る」のも「試行錯誤」の一部とも言える。そして、どちらの「試行錯誤」が好ましいかを「高校生Kすけ」は問うている。
「自分にとって正解と思える道」が決められないから参考意見を求めているはずだ。しかし安井氏は自分が「高校生Kすけ」だったらどちらを選ぶかを教えてくれない。「自分にとって正解と思える道」を選べと諭すだけだ。
こんな答えに意味があるだろうか。自分が「高校生Kすけ」だったら「『自分にとって正解と思える道』を決めるための判断材料として『安井氏ならどちらを選ぶか』を聞きたかったのに…」と思うだろう。
※今回取り上げた記事 「『高学歴の真の価値』を知る人と知らない人の差~自分にとっての『最適』を探す旅こそが人生」
https://toyokeizai.net/articles/-/410765
※記事の評価はD(問題あり)
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