7日の日本経済新聞朝刊18歳プラス面に載った「池上彰の大岡山通信 若者たちへ(255)米新政権の閣僚顔ぶれ~進む女性登用 日本は…」という記事に引っかかる記述があった。
大阪城 |
【日経の記事】
ホワイトハウスの大統領報道官に起用されるのはジェン・サキ氏。彼女はオバマ前政権でホワイトハウス広報部長や国務省報道官を歴任しています。また2004年大統領選で民主党候補ジョン・ケリー氏の選挙陣営、08年と12年大統領選でオバマ陣営の広報を担当した経歴を持っています。
この経歴を見ると、女性だから起用されたのではなく、広報の分野で豊富な経験を持っているから選ばれたことがわかります。人気取りで人事配置をしているのではなく、米国の政治・経済の分野では多数の女性が活躍しているのですね。
こんな様子を見ると、それに引き換え日本は……と言いたくなってしまいます。日本も安倍晋三前政権は「女性活躍社会」を謳(うた)っていましたが、ちっとも進まないまま退陣。菅義偉内閣でも女性閣僚の数は少なく、バイデン政権で多数の女性たちが活躍するようになると、これまで以上に「日本の女性の地位の低さ」が目立つことになりそうです。
今年の新型コロナウイルス対策では、ドイツのメルケル首相やニュージーランドのアーダーン首相など女性首脳の国民向けメッセージが国民の心をつかみました。メルケル首相は、スーパーマーケットのレジで働く人たちに感謝を伝え、アーダーン首相は子どもを寝かしつけた後、自宅からカジュアルな姿でメッセージを送りました。
いずれも生活感があふれ、その言葉には国民への共感がありました。
ホワイトハウス報道官の仕事は、日本に置き換えれば官房長官の役割。女性の官房長官が生活感あふれるコメントで国民に呼びかけるようになるのは、いつのことになるのでしょうか。
◎嘆く必要ある?
「ホワイトハウス報道官の仕事は、日本に置き換えれば官房長官の役割。女性の官房長官が生活感あふれるコメントで国民に呼びかけるようになるのは、いつのことになるのでしょうか」と書くと日本ではまだ「女性の官房長官」が誕生していないと理解したくなる。
しかし1980年代末の日本には既に「女性の官房長官」がいた。海部内閣で森山真弓氏が官房長官を務めている。「生活感あふれるコメントで国民に呼びかけ」ていたかどうかは分からないが「それに引き換え日本は……」と嘆く必要はない。
池上氏も世代的には森山官房長官時代を知っていておかしくないが、記憶に残っていなかったのだろう。
ついでに言うと記事には男性への偏見を感じる。
「メルケル首相」や「アーダーン首相」の「メッセージ」には「生活感があふれ」ていて「国民への共感」を得た。だから日本でも「女性の官房長官」が「生活感あふれるコメントで国民に呼びかける」ようにするべきだと池上氏は考えているのだろう。
「首相」や「官房長官」が発する「メッセージ」に「生活感」は要らないと思うが、あった方が良いとしよう。その場合でも「女性」である必要はない。男性の「官房長官」でも「生活感」は出せる。
「スーパーマーケットのレジで働く人たちに感謝を伝え」たり「子どもを寝かしつけた後、自宅からカジュアルな姿でメッセージ」を送ったりするのは「女性」にしかできないことなのか。
※今回取り上げた記事「池上彰の大岡山通信 若者たちへ(255)米新政権の閣僚顔ぶれ~進む女性登用 日本は…」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20201207&ng=DGKKZO67047120U0A201C2TCL000
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