2019年9月1日日曜日

D・アトキンソン氏の「最低賃金引き上げ論」に欠けている要素

日経ビジネス9月2日号に載った「目覚めるニッポン~D・アトキンソン氏『賃金を上げられない企業は退場を』」という記事(筆者は大竹剛副編集長)を読んで驚いた。記事によると「電子版に掲載した『生産性向上には最低賃金引き上げが不可欠』という同氏の主張に、読者の多くは納得した」という。
石巻駅(宮城県石巻市)※写真と本文は無関係です

個人的には全く納得できなかった。まず気になるのがアトキンソン氏の主張に「いつどのくらい引き上げるのか」が見当たらないことだ。これが分からないと何とも言えない。とりあえず「最低賃金はどれだけ引き上げてもいい。上げれば上げるほど好ましい」との前提で考えてみたい。

アトキンソン氏の主張をもう少し見ていこう。

【日経ビジネスの記事】

日本の現状を調査・分析すれば、人口減少や少子高齢化が最大の問題だと分かります。しかし、人口増から人口減へとパラダイムシフトが起きているのに、何も変わっていないかのごとく改革ではなく改善ばかりを続けています。最低賃金引き上げは、こうした状況を大きく変える改革になります。

過去20年間で、米国や英国の給料は約1.7倍になりましたが日本では約7%減少しました。人口が減れば、数の原理で日本のGDP(国内総生産)も縮小します。そうならないためには、給料を増やすしかありません。

例えば、平均所得420万円の労働者が2人いると仮定すると所得の合計は840万円。それをすべて使うと、個人消費が840万円。労働者が1人に減っても個人消費を維持するには、1人の所得を840万円に引き上げなければなりません。単純な話です。GDPの議論で個人消費についてだけ考えたのは、家計から支出する消費がGDPの5割以上を占めているからです。

生産性向上の掛け声は大きいですが、最低賃金引き上げには後ろ向きの経営者や識者が多いですよね。しかし、生産性が向上しても最低賃金を引き上げなければどうなりますか。労働分配率がどんどん下がり、その結果、個人消費も減っていきます。

中略)最低賃金を引き上げ、それを払えない企業と経営者には退場していただく。その結果、企業の統廃合が進み1社当たりの企業規模が大きくなり、生産性を高めるための施策を打てるようになる。そして、きちんと賃金を上げられる経営者の下に、才能ある人材が集まっていく。そういう経済の循環を作り出すことが必要です。

これまで日本の経営者は本気で生産性を向上させずに、賃金を削って利益を出してきました。もうこんなことはやめないと立ち行かなくなりますよ



◎だったら時給1億円でどう?

分かりやすくするために極端なケースで考えてみよう。アトキンソン氏の考えに沿って日本の最低賃金を全国一律に「時給1億円」としたらどうなるか。

「そんな無茶言われても…。それじゃ事業が成り立たないよ」と経営者からは大反対が起きるだろうが「それを払えない企業と経営者には退場していただく」。結果として「企業の統廃合が進み1社当たりの企業規模が大きくなり、生産性を高めるための施策を打てるようになる。そして、きちんと賃金を上げられる経営者の下に、才能ある人材が集まっていく」。そして、めでたく「時給1億円」の夢の国が誕生する……はずだ。

「そんなにうまく行くのか?」とは誰もが考えるだろう。しかし、心配は要らないようだ。日経ビジネス電子版の記事で「最低賃金を上げると、企業は生産性を向上させて対応することが、英国の事例研究を根拠にしていることに対して、根拠を示すことなく『最低賃金を上げると、生産性は果たして上がるか、疑問』、と言う人もいます」とアトキンソン氏は述べている(やたらと「こと」が続くし、日本語としてやや不自然な感じもあるが、ここでは置いておく)。

最低賃金を「時給1億円」にしても、「企業は生産性を向上させて対応する」らしい。「時給1億円」でも利益を出せるビジネスが次々と誕生して日本全体が恐ろしいほど豊かになるだろう。1日でも働けば一生食うに困らないカネを稼げる。「日本に生まれて良かった」と心の底から思える……だろうか。

誰もが「時給1億円」になれば大幅なインフレが起きて、それで調整されてしまいそうな気もする。これも心配無用らしい。日経ビジネス電子版の記事で「最低賃金を引き上げるとその分だけ物価も上がるから実質賃金は上がらない、という反論も聞きます。(生産性の話も含めて)両方とも、科学的な検証をすると、ただの感覚的な反論にすぎないことは分かります」とアトキンソン氏は教えてくれる。

だったら最高だ。最低賃金を「時給1億円」にすれば、1日8時間働くと8億円が手に入る(
ここでは税金は考慮しない)。後は遊んで暮らしてもいい。大幅なインフレの心配もないので、現在1億円を超えるような東京都心部のマンションを複数買ってもいい。

こんな夢のような話が政府の決断1つで実現する。財源も要らない。明日からでもぜひやってほしい。思い切って「時給10億円」にしてもいいだろう。生産性はそれを後追いして伸びるし「最低賃金を引き上げるとその分だけ物価も上がる」などと考える必要がないのは「科学的な検証」で明らかになっているのだから。

アトキンソン氏に「最低賃金を時給1億円にしたらどうか。生産性が上がって日本は豊かになるか」と聞けば「それは話が極端すぎる」と返ってきそうな気がする。確かに例としては極端だ。しかし「いつどのくらい引き上げるべきか」をアトキンソン氏が示していない(あるいは示しているのに大竹副編集長が省いた)から、こういう話にもなってくる。

最低賃金で問題となるのは「適正水準」ではないか。そこが決まれば、上げるべきかか下げるべきかは論じるまでもない。


※今回取り上げた記事「目覚めるニッポン~D・アトキンソン氏〈賃金を上げられない企業は退場を』
https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/depth/00311/


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