2019年7月31日水曜日

「初の有人飛行」はライト兄弟? 日経 深尾幸生・山田遼太郎記者に問う

日本経済新聞の深尾幸生記者と山田遼太郎記者によると「(1903年に)ライト兄弟が史上初の有人飛行に成功してから1世紀あまり」らしい。一方で「ドイツの発明家オットー・リリエンタール」は「有人飛行に挑み続け、1891年に成功させた」とも書いている。この矛盾をどう理解すればよいのか、以下の内容で問い合わせを送ってみた。
ソラシドエアの機体(国東市の大分空港)
          ※写真と本文は無関係です


【日経への問い合わせ】

日本経済新聞社 深尾幸生様 山田遼太郎様

31日の朝刊ディスラプション面に載った「Disrupution 断絶の先に 第4部 疾走モビリティー(5)2025年、タクシーは空を飛ぶ」という記事についてお尋ねします。質問は以下の4つです。

(1)「史上初の有人飛行」を成功させたのはライト兄弟ですか?

記事中に「ライト兄弟が史上初の有人飛行に成功してから1世紀あまり」との記述があります。その前に「リリウムという会社名は、空気より重い物体が安定的に飛ぶのは不可能とされた時代にグライダーのような機体で有人飛行に挑み続け、1891年に成功させたドイツの発明家オットー・リリエンタールから名づけた」とも説明しています。

記事に付けた表によれば「ライト兄弟が史上初の有人飛行に成功」したのは1903年です。しかし「オットー・リリエンタール」が「有人飛行に挑み続け、1891年に成功させ」ています。明らかに矛盾しています。

ライト兄弟」は「リリエンタールの飛行実験に影響されてグライダーの製作を開始。1903年に複葉機を完成させ、人類初の動力飛行に成功」(デジタル大辞泉)したのではありませんか。だとすると「ライト兄弟が史上初の有人飛行に成功してから1世紀あまり」のくだりは「史上初の動力飛行」としないと成立しません。

ライト兄弟」に関する説明は誤りと考えてよいのでしょうか。問題なしとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。

付け加えると19世紀には「空気より重い物体が安定的に飛ぶのは不可能とされ」ていたのでしょうか。当時の人々は鳥を「空気より軽い」と認識していたのでしょうか。あるいは「鳥は安定的に飛べない」と見ていたのでしょうか。どちらもあり得ない気がします。「人類が安定的に飛ばせるのは気球などに限ると思われていた」との趣旨なのでしょうが…。

せっかくの機会なので、他に気になった点を記しておきます。


(2)「ジェット」は「空飛ぶクルマ」ですか?

記事では独リリウムが開発した「ジェット」を「空飛ぶクルマ」と表現しています。「空飛ぶタクシー」ならばまだ分かりますが、「空飛ぶクルマ」とは思えません。「大きなシャチを思わせるつるんとした白い機体に、細かいギザギザがついた前後2対の翼」の「ジェット」は、写真を見ても明らかに飛行機です。翼を折りたたんで車輪が出てきて地上では自動車になるのならば「空飛ぶクルマ」でしょうが、そうした説明は見当たりません。

今も大富豪が使うプライベートジェットと何が違うのか。空飛ぶタクシーの特徴は『電動、垂直離着陸、自動運転』だ」との説明はありますが、ここにも「ジェット」を「空飛ぶクルマ」と呼ぶ理由は見当たりません。道路も走行できて空も飛べるのが「空飛ぶクルマ」ではありませんか。「垂直離着陸」ならばヘリコプターでもできます。


(3)「成田空港まで10分」は可能ですか?

ジェット」の「最高時速は300キロメートルが目標」です。そして「東京都心から成田空港までなら10分、2万円程度にしたい」ようです。東京駅から成田空港まで直線距離で57キロメートルと言われています。「最高時速」の「300キロメートル」で常に飛行したとしても「10分」では50キロしか進めません。実際には離陸直後と着陸直前には大きく速度を落とす必要があるので「最高時速」が「300キロメートル」では「10分」で50キロの移動も不可能でしょう。「東京都心から成田空港までなら10分」は目標通りの性能を実現しても無理なのではありませんか。


(4)「空飛ぶクルマが命を救う」は画期的ですか?

都市も変わる 地方も変わる」という関連記事にも疑問を感じました。記事の最後の段落は以下のようになっています。

経済産業省製造産業局の伊藤貴紀は『日本でまず活用が進むのは地方だ。医師が乗った空飛ぶクルマが救急車のように飛び回れるようになれば、65歳以上の高齢者が過半数を占めるような限界集落にも医療サービスが行き届く』と期待する。空飛ぶクルマが命を救う。10年後、そんな日が日常になるかもしれない

救急ヘリ病院ネットワークによると、2018年9月時点で「全国43道府県に53機のドクターヘリが配備」されているようです。既に「ドクターヘリが命を救う。そんな日が日常になっている」はずです。なのに「空飛ぶクルマが命を救う。10年後、そんな日が日常になるかもしれない」と訴える意味はありますか。実現したとしても、それほど画期的な話だとは思えません。

連載のテーマは「Disrupution 断絶の先に」です。しかし、ヘリコプターや小型飛行機が空を飛んでいる状況で「空飛ぶタクシー」が実用化されても「Disrupution 断絶」と呼べるほどの変化は起きないでしょう。道路を走っている車が空に舞い上がったり、空を飛んでいる車が道路上に降りてそのまま走行したりする光景が当たり前になれば画期的ですが、「ジェット」はそんな類の乗り物ではないようです。

Disrupution 断絶」が起きないのですから、その「」が見えないのは当然です。なので「空飛ぶクルマが命を救う。10年後、そんな日が日常になるかもしれない」と強引に結んだのでしょう。

そこを責めるのは酷な気もします。「Disrupution 断絶の先に」というテーマ設定自体に無理があると考えるべきでしょう。第4部は今回で終わりです。第5部の連載はお薦めしません。失敗が約束されたようなものです。

問い合わせは以上です。少なくとも(1)の質問には回答してください。御紙では読者からの間違い指摘を無視する対応が常態化しています。「世界トップレベルのクオリティーを持つメディア」であろうとする新聞社の一員として責任ある行動を心掛けてください。

◇   ◇   ◇

追記)結局、回答はなかった。

※今回取り上げた記事「Disrupution 断絶の先に 第4部 疾走モビリティー(5)2025年、タクシーは空を飛ぶ
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190731&ng=DGKKZO47757950V20C19A7TL1000


※記事の評価はD(問題あり)。 深尾幸生記者と山田遼太郎記者への評価も暫定でDとする。

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