2018年9月5日水曜日

「議論」を求めるばかりの日経社説は「廃止」でいい

日本経済新聞の社説は「議論」を求めるのが大好きだ。その問題に関して、自分たちの姿勢を鮮明にしなくて済むからだろう。しかし、議論を求めるばかりならば、社説の存在意義はない。5日の朝刊総合1面に載せた社説の見出しは「中西氏の問題提起受け就活論議を深めよ」「汚染水処理は丁寧な議論を」。ともに「議論」を求めるものだ。
道の駅 大和(佐賀市)※写真と本文は無関係です

経団連は大学や文部科学省などと就活のあり方について議論を尽くすべきだ」「住民参加型の対話集会などを重ね、透明性と信頼の確保を第一に具体的な処理法を議論すべきだ」と書いておけば、それらしい意見を述べているような雰囲気は出せる。ゆえに「どうすべきか」の答えを出すのが難しい時に使いたくなってしまうのだろう。

これだけ「議論」を求める社説が目立つのだから、社説が本当に必要なのか、それこそ日経の社内で「議論を尽くすべき」だ。個人的には「社説は廃止。存続するならば、社論を明確にすることが条件」と考えている。

ここからは「中西氏の問題提起受け就活論議を深めよ」という社説に少しツッコミを入れてみたい。

【日経の社説】


経団連が就職活動の日程で設けているルールについて、中西宏明会長が2021年春入社の学生から廃止する意向を示した。特定の時期に集中的に学生を選考する「新卒一括」に偏った採用は時代遅れなのに、ルールがあるため温存されているとの考えからだ。

その問題意識は理解できる。就活をめぐる論議に一石を投じたといえる。ただし、学生の多くが就活の進め方の目安にしてきた経団連ルールがなくなることで、混乱を招く可能性は高い。経団連は大学や文部科学省などと就活のあり方について議論を尽くすべきだ。


◎「ルールがあるため温存」?

特定の時期に集中的に学生を選考する『新卒一括』に偏った採用は時代遅れなのに、ルールがあるため温存されている」と「中西宏明会長」が考えているのか怪しい気もするが、とりえず受け入れてみよう。社説では「その問題意識は理解できる」と書いている。なぜ「理解できる」のか分からない。

例えば「新卒一括採用に偏るのは時代遅れだ。新卒一括は1割に留めて、残りの9割は中途採用にしよう」と、ある経団連加盟企業が考えた場合、「ルール」の存在が何か影響するのか。

欧米では空いたポジションを埋める形で採用するので「新卒一括」にならないと言われている。日本企業がこのやり方を選択するのにも大きな制約はない。経団連加盟企業は新卒の学生に関して「ルール」の縛りを受けるが、それだけだ。

『新卒一括』に偏った採用は時代遅れ」と考えている企業が、経団連の「ルール」があるからという理由で「『新卒一括』に偏った採用」を「温存」するとは考えにくい。

社説では「グローバル化やデジタル化が進み、企業は人材を外部にも柔軟に求める必要性が高まっている。環境変化に合わせ採用活動も見直すべきだとする中西氏の考えは理にかなっている面がある」とも書いている。

グローバル化」で「人材を外部(海外)にも柔軟に求める必要性が高まっている」として、「経団連が就職活動の日程で設けているルール」と関係があるのか。経団連のルールは海外での採用活動を縛ってはいないし、国内にいる留学生の採用を禁止するものでもない。

環境変化に合わせ採用活動も見直すべきだとする中西氏の考えは理にかなっている」かもしれないが、「ルール」見直しとは基本的に別問題だ。海外人材の採用を増やしたければ、自由に増やせる。


※今回取り上げた社説

中西氏の問題提起受け就活論議を深めよ
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO34990940U8A900C1EA1000/


汚染水処理は丁寧な議論を
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO34990960U8A900C1EA1000/


※社説の評価はいずれもC(平均的)。

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