2018年9月11日火曜日

日経「一目均衡」で野村のリーマン買収を強引に庇う川崎健次長

日本経済新聞の川崎健 証券部次長が書く記事が相変わらず苦しい。11日の朝刊投資情報面に載った「一目均衡~市場に立つ野村の責務」という記事でも、野村ホールディングスが10年前に「リーマンから欧州・アジア事業を買収した」件を強引に庇っていた。記事を見ながら問題点を指摘したい。
伊都国歴史博物館(福岡県糸島市)
       ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】 

リーマン・ブラザーズの経営破綻が世界金融危機の扉を開けた2008年9月15日。約1週間後、野村ホールディングスはそのリーマンから欧州・アジア事業を買収した。あれから10年。あの判断が野村という会社にとって、そして日本の証券市場にとってどういう意味があったのかを総括すべきタイミングだろう。

「いま契約書にサインしたところ。これから講堂でリーマンの社員たちにスピーチするよ」。08年9月23日、ロンドン。買収交渉をまとめ上げた野村の柴田拓美副社長(当時、現日興アセットマネジメント社長)はやっとつながった電話口で上気していた。

創業者の野村徳七が大阪市で野村証券の営業を始めて80年余。初めて訪れた「バルジブラケット」と呼ぶ世界の一流投資銀行の一角に食い込むチャンスに経営陣と社員、そして取材する側も興奮した。

だがその高揚感も長くは続かなかった。リーマン破綻で世界のマーケットは大混乱に陥り、09年3月期決算で野村は7081億円と過去最大の最終赤字を計上した。たまらず09年に2度にわたり大規模な公募増資を実施。7133億円を集めて目減りした資本を埋め、何とか生き残った

振り返れば、巨額損失の原因は08年4月に社長の座を渡部賢一氏(現名誉顧問)に引き継いだ古賀信行氏(現会長)の社長在任時代に遡る。

米国で傾注していた住宅ローン証券化の在庫や証券化商品の保証業務を手掛けるモノライン(金融保証会社)向け取引、巨額の証券詐欺で収監されたマドフ氏への投資まで抱えていた。野村もレバレッジ(借り入れを使った投資)にどっぷりと漬かっていた。

「このままでは絶対潰れるぞ」。真相を知る2人は今も黙して語らないが、唐突な社長交代は古賀氏にこう言って強く退任を迫った渡部氏によるクーデターだった可能性が高い。交代後、渡部氏はリーマン買収、損失処理、公募増資を立て続けに実施した。


◎そんなクーデターある?

08年4月」の社長交代を川崎次長は「渡部氏によるクーデターだった可能性が高い」と見ている。「クーデター」とは「既存の政治体制を構成する一部の勢力が、権力の全面的掌握または権力の拡大のために、非合法的に武力を行使すること」(大辞林)を指す。会社経営に関して比喩的に用いる場合でも、「クーデター」かどうか外から見て分からないような事態は考えにくい。

さらに分からないのが「クーデター」の敗者である「古賀信行氏」が今も会長の座にあることだ。「クーデター」で失脚した首相がその後に大統領を務めるようなものだ。常識的にはあり得ない。しかも「クーデター」の勝者である「渡部賢一氏」は「名誉顧問」に退いている。そんな「クーデター」があるのか。

続きを見ていこう。

【日経の記事】

歴史に「もし」はないというが、あのときリーマンを買っていなければ野村はどこかの銀行の傘下に入っていただろう。リーマン買収をテコに世界に打って出るというエクイティストーリーがなければ公募増資は無理だったからだ。最後は銀行に出資を頼むしか道は残らない。「そのときの相手は三菱だっただろうな」。後に渡部氏はこう漏らしたという。



◎順序が逆では?

公募増資」で得た資金で「リーマンを買って」「世界に打って出る」のならば分かる。しかし、順番が逆だ。「08年9月23日」に買収交渉がまとまったのに、増資は「09年に2度」だ。増資資金はリーマン関連事業にも振り向けられたのだろうが、「リーマン買収をテコに世界に打って出るというエクイティストーリー」には無理がある。

さが21世紀県民の森(佐賀市)※写真と本文は無関係です
それに「世界に打って出るというエクイティストーリー」があれば済むのならば、事前に「リーマンから欧州・アジア事業を買収」する必要はない。「増資で得た資金で海外での買収を積極的に推進する」という「エクイティストーリー」を描けばいい。「リーマン買収をテコに世界に打って出るというエクイティストーリーがなければ公募増資は無理だった」という見立てはかなり怪しい。

今回の記事で川崎次長は「リーマン買収」が野村の収益にどう貢献したのか全く触れていない。そして強引に「野村が生き残れたのはリーマン買収があったから」というストーリーを展開している。

推測だが、このストーリーは「リーマン買収、損失処理、公募増資を立て続けに実施した」渡部氏が唱えているのではないか。「収益面では貢献できなかったが、今の野村があるのはリーマンを買収したから」と訴えたくなるのは、買収を主導した人であれば納得できる。そして渡部氏と仲良しの川崎次長がそのストーリーを受け入れたと考えれば腑に落ちる。記事が全体として渡部氏を持ち上げる内容になっているからだ。

記事の終盤に話を移そう。

【日経の記事】

銀行と違って(顧客に)時価を知らせる恐怖を全社員が経験として共有している」。ある首脳は野村の組織に息づく遺伝子をこう表現した。刻々と値段が変わり、時に損をするのがマーケットだ。その現実と向き合い、自らの判断で正当なリスクをとる投資家が一人でも増えてこそその国の市場と経済は栄える。

この市場に最大手の証券会社が独立系の証券会社として残った意義は、決して小さくない。すぐに途切れてしまうこの国の直接金融の流れを少しでも太くするのが、銀行の支配下にない野村が負った責務だ。リーマンから10年の今、そう思う。



◎意義付けが強引すぎる

この市場に最大手の証券会社が独立系の証券会社として残った意義は、決して小さくない」と川崎次長は訴える。「銀行の系列証券じゃなぜダメなの?」という疑問に対する答えが「銀行と違って(顧客に)時価を知らせる恐怖を全社員が経験として共有している」という「野村の組織に息づく遺伝子」の存在なのだろう。

だが、どう考えても無理筋だ。証券会社は「(顧客に)時価を知らせる恐怖を全社員が経験として共有している」かもしれない。だが、それは銀行系列の証券会社も同じだ。論じるならば「銀行と証券会社の違い」ではなく「銀行系証券会社と独立系証券会社の違い」であるべきだ。記事では、それができていない。

すぐに途切れてしまうこの国の直接金融の流れを少しでも太くするのが、銀行の支配下にない野村が負った責務だ」との主張も苦しい。「銀行の支配下」にある証券会社には「この国の直接金融の流れを少しでも太くする」という「責務」はないのか。独立系と銀行系列で「責務」に差が出るものなのか。

「野村のリーマン買収は正解だった」と訴えるために、無理に無理を重ねている印象ばかりが残る記事だった。


※今回取り上げた記事「一目均衡~市場に立つ野村の責務
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180911&ng=DGKKZO35193640Q8A910C1DTA000

※記事の評価はD(問題あり)。川崎健次長への評価はDで据え置く。川崎次長に関しては以下の投稿も参照してほしい。

川崎健次長の重き罪 日経「会計問題、身構える市場」http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/07/blog-post_62.html

なぜ下落のみ分析? 日経 川崎健次長「スクランブル」の欠陥http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/09/blog-post_30.html

「明らかな誤り」とも言える日経 川崎健次長の下手な説明http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/02/blog-post_27.html

信越化学株を「安全・確実」と日経 川崎健次長は言うが…http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/07/blog-post_86.html

「悩める空売り投資家」日経 川崎健次長の不可解な解説
http://kagehidehiko.blogspot.com/2016/10/blog-post_27.html

最終回も間違い目立つ日経「モネータ 女神の警告」
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/08/blog-post_31.html

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