草千里ヶ浜(熊本県阿蘇市) ※写真と本文は無関係です |
◇取材班へのメール◇
「砂上の安心網~2030年不都合な未来(4) 政治に『老高若低』の呪縛 痛み伴う改革 及び腰」という記事に関して意見を述べさせていただきます。
まず「2030年問題」に触れておきます。第4回では再び「2030年」の「不都合な未来」を描くことを放棄していました。ここまで来れば「2030年不都合な未来」というタイトルを付けたのが失敗だったと結論付けてよいでしょう。
それ以外で気になったのは、根拠を示さず社会保障を「高齢者偏重」と決め付けた点です。記事の最初の方では以下のように書いています。
【日経の記事】
「人生100年時代の社会保障へ」――。10月26日、小泉進次郎氏ら若手議員約20人でつくる自民党の「2020年以降の経済財政構想小委員会」はこう題した提言をまとめた。年金の支給開始年齢のさらなる引き上げなどを打ち出した。
めざすのは高齢者偏重から全世代型の社会保障、とりわけ「自助を最大限に支援する制度」への変革だ。「痛みが伴う改革から逃げてはならない」と訴えるのも、財政難を背景に「ないものはない」(小泉氏)と考えるからだ。
若手議員らしく中長期的な視点で改革姿勢を鮮明にしたが、党内で注目度は低い。当面の政策に反映されないからだ。「言いっ放しの提言」と冷ややかな視線も漂う。
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経済財政構想小委員会では「高齢者偏重」と判断しているのでしょう。しかし、取材班のみなさんがそれを素直に受け入れる必要はありません。仮に受け入れたのであれば、なぜ「高齢者偏重」と言えるのか読者に根拠を示すべきです。
経済財政構想小委員会によると「現在の社会保障は、高齢世代に90兆円程度、子供世代に20兆円程度、現役世代に20兆円程度を支給している」そうです。これだけでは「偏重」かどうかは判断できません。人口構成や、社会保障の必要性が異なるからです。「高齢世代、子供世代、現役世代にそれぞれ43兆円程度」となるのが偏重のない正しい姿とは言い切れないはずです。
現状が「高齢者偏重」ではないとは言いません。ただ、記事で「高齢者偏重」の是正を訴えるのであれば、「確かに高齢者に偏重しているな」と読者を納得させてほしいのです。今回の記事ではそれを最初から放棄しています。これでは説得力が生まれるはずもありません。
気になる点をさらに列挙していきます。
【日経の記事】
12月15日の自民党本部。厚生労働部会に怒号が響いた。「こんな見直しバカじゃないか」「すべて厚労予算の削減でやるのは難しい」。患者負担上限を定めた「高額療養費制度」の高齢者の一部を対象とした見直しは了承されたが、厚労族は怒りをぶちまけた。
◎疑問その1~怒号? 怒り?
「すべて厚労予算の削減でやるのは難しい」との発言は「怒号」なのでしょうか。コメントだけ読むと「怒号」ではなさそうですし、「怒りをぶちまけた」ようにも見えません。
【日経の記事】
与党議員には苦い記憶が頭をよぎる。小泉純一郎内閣が06年に社会保障費の伸びを5年間抑える方針を決定。「高齢者いじめ」と批判され、09年に政権から転落する要因になったとみる。衆院解散風におびえ有権者が嫌がる負担増には及び腰だ。
選挙の投票率は年齢が上がるほど高くなる傾向があり、政治は「老高若低」に傾く。安倍晋三首相も高い内閣支持率を使って抜本的な改革に切り込む姿勢は見えない。
◎疑問その2~若者は「抜本的な改革」を支持?
上記の書き方だと投票率が「老高若低」だから抜本改革が進まないと受け取れます。しかし、若者は本当に「抜本的な改革」を支持しているのでしょうか。例えば、年金支給開始年齢を80歳にして、給付水準も今の半分にしてみましょう。
個人的な経験で恐縮ですが、こうした「抜本的な改革」を求めるか20代の若者に聞くと、ほぼ全員が否定的な見解を示します。理由は「自分もいずれは高齢者になるから」です。記事には「若い世代は抜本的な改革に賛成」との前提を感じますが、それは怪しい気がします。実際に記事でも、若い世代の改革志向を確認できる根拠を示していません。
【日経の記事】
「町はさびれ、各世帯は孤立し、独居老人はたくさんいた。他人の世話になりたくないという人たちも集まれる家庭的な介護の場をつくれないかと」。高知県中芸広域連合保健福祉課の広末ゆか課長らは13年前に田野町に「なかよし交流館」をつくった。今では独居老人らのたまり場になっている。
認知症や身体に障害をかかえた人も肩を寄せ合う。食事や入浴といった実費だけで手軽に利用でき、ボランティアの職員を募るなどして運営費を抑える。国の介護保険制度にできるだけ頼らないようにした同様の施設は県内42カ所にまで広がった。広末氏は話す。「公助はもう限界に来ている」
◎疑問その3~「なかよし交流館」は「公助」ではない?
「なかよし交流館」とは自治体が造ったものではないのですか。記事の書き方からは「広末ゆか課長ら」が個人でカネを出しているようにも読めますが、常識的に考えると自治体から資金が出ているのでしょう。だとしたら、それも「公助」です。
「公助」で箱モノを「県内42カ所」に造っているのに「公助はもう限界に来ている」と訴えても説得力はありません。むしろ「公助にできることは山のようにある」とでも語ってもらうべきでしょう。
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※記事の評価はD(問題あり)。「高齢者偏重」「老高若低」などでは、取材班の固定観念の強さを感じた。「本当にそうなのか」「なぜそう言えるのか」と突き詰めて考えずに、誰かが言った話をそのまま受け入れてはいないか。その点をじっくり考えてほしい。
※今回の特集に関しては以下の投稿も参照してほしい。
「2030年に限界」の根拠乏しい日経1面「砂上の安心網」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/2030.html
第2回で早くも「2030年」を放棄した日経「砂上の安心網」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/2030_20.html
「介護保険には頼れない」? 日経「砂上の安心網」の騙し
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_21.html
どこが「北欧流と重なる」? 日経1面「砂上の安心網(5)」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_42.html
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