シーサイドももち海浜公園(福岡市早良区) ※写真と本文は無関係です |
一方で、株式投資家の平均的な保有期間が短期化していることをとらえ、「短期志向が蔓延し、長期投資が損なわれている」という議論を聞くことは多い。平均的な保有期間とは時価総額÷年間取引高で計算され、近年確かに短縮傾向にある。ただ、コンピューターがプログラムに基づいて自動的に行う高頻度取引(HFT)が増えれば平均保有期間は短縮し、HFT以外の株主構成に変化がなくても短期志向が広がったことになってしまう。
HFTなどなしに保有期間の短縮化が確認されたとしても、それは流通市場の話であって、発行市場で企業の資金調達が難しくなるわけではない。平均保有期間が短くなって何か不都合を引き起こしているかどうかは疑わしい。企業と投資家の対話の成果が持続的に企業価値に対してポジティブな影響があれば、投資家の保有期間が短期であっても何も問題はないはずだ。しかし、短期志向の証拠として、平均保有期間の短期化を示すグラフが必ずといっていいほど用いられる。
確かに「長期投資=好ましい」「短期投資=好ましくない」との文脈で語られることは多い。そして、こうした価値判断にはあまり意味がない。もちろん、株式を発行する企業からすれば、長期投資家を歓迎するのは理解できる。一方、投資家側から見ても「短期売買は手数料負担が膨らみやすいので、長期投資に負けやすい」といった点から論じるのであれば意義はある。しかし、株式市場全体(あるいは社会全体)にとっての有益性という観点からは、短期投資を目の敵にする理由はないと思える。
市場参加者が長期投資家ばかりになれば、市場の流動性は大幅に損なわれるはずだ。短期であれ長期であれ、様々な投資家が多様な思惑を持って取引に参加するから市場は適正に機能してくれる。投資のスタンスが短期か長期かも、それぞれ投資家が自分で判断すべきことであり、全体を一定の方向に誘導しようとする考えには賛同できない。ゆえに、鈴木氏の主張には同意できる部分が多い。
「運用に関する報酬体系を長期化させるべきだ」とか、「四半期での情報開示が短期志向を促している」といった意見に対しても、鈴木氏は以下のように批判的に論じている。
【エコノミストの記事】
報酬体系については、長期的な成果に連動させることが容易に思いつく解決策だ。しかし、資産運用を例にとると、短期で見て振るわない運用業者との契約を維持したまま運用報酬を払い続けるのは面白くないだろう。「長い目で見る」というのは、時に問題の先送りにしかならない。短期の成果に無頓着であれば、想定される投資期間の中途で成果が上がっていない場合、吉と出れば運用実績が整うが、凶と出れば資産全体を脅かす、いわばばくちを打つような投資判断を誘発する危険さえある。
後者の情報開示については、この秋から金融庁主導で、企業の情報開示ルール見直しが始まる見通しだ。そこでは、重複のある開示制度の整理とともに、四半期開示の在り方などが検討の俎上に上るだろう。
四半期開示情報は短期志向を生んでいると批判されている。「短期情報を開示しなければ、長期投資が行われるようになる」となれば、縮小・任意化という方向もあり得よう。
しかし、企業の短期的な成果を見ることは、長期的経営のラップタイムを測ることにも似ている。現に利用者が数多くいる四半期開示をなくすことが投資家と企業の間の信頼を高めることになるとは思い難い。
上記の主張にも異論はない。例えば決算発表を3年に1度にして、それで短期志向の投資家が激減したとしても、望ましい方向に行っていると思う人はまれだろう。企業の負担との兼ね合いではあるが、開示情報は充実している方が基本的には好ましい。個人的には、長期のスタンスで投資するにしても、四半期決算はもちろん、もっと短い期間の財務情報も開示してほしい。
この記事では、社外取締役に関する解説も興味深かった。米国企業にとっては「経営者を訴訟リスクから守る“防弾チョッキ”」だが、日本企業にとっては「世界標準の会社組織であることを示すために身だしなみを整えるネクタイのようなもの」という説明は示唆に富んでいたし、例えとしてもピッタリはまっている。
※記事の評価はB(優れている)。鈴木裕氏の評価も暫定でBとする。今後も批判精神にあふれた分析記事を期待したい。
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