大濠公園(福岡市中央区) ※写真と本文は無関係です |
【日経の記事】
あの騒ぎは何だったのかと思う。2008年に始まった後期高齢者医療制度のすったもんだである。
その名前を「うば捨て山のようだ」とあげつらったのは、民主党など野党勢力だった。年金からの保険料の天引きも反発を招いた。渦巻く批判は、09年の総選挙で民主党が政権奪取する原動力にもなった。
一般に、高齢者の定義は65歳以上の人。後期高齢者はそのうち75歳以上を指す専門語だ。74歳までの前期高齢者に比べ食習慣などに起因する疾病リスクが高まる。けがもしやすくなる。リスク増大を補おうと、75歳で区切り、必要になる医療財源を手当てするのが制度創設のねらいだった。
確かに、制度名に専門語をそのまま冠した厚労官僚の感度の鈍さは褒められたものではない。開始直前になって福田政権は長寿医療制度と言い換えたが後の祭り。自民、公明両党がこの制度の根拠法を成立させたときの首相、小泉純一郎氏はのちに「末期高齢者医療制度とでも名づけたならいざ知らず、批判されるいわれはない」と憤っていた。
案の定、野田政権は制度の廃止という民主党の政権公約を棚上げした。健康保険で補いきれないリスクに税を主財源として対応する仕組みへの理解は深まり、批判は影を潜めた。
介護保険と合わせ、日本は長寿時代を見据えた制度を整えたはずだった。だが高齢者が抱く不安は簡単には和らがない。かつて国民的な人気を博した長寿の双子姉妹、きんさん、ぎんさんが百歳をすぎてCM出演料の使い道を聞かれ、そろって「老後の蓄えに」と答えた逸話がある。多くの高齢者が同じ心境ではないか。
そんなことを考えたのはヘルシンキ郊外の高齢者施設で聞いたひと言に、はっとさせられたからだ。「将来の心配? ありません」。断言したのはピルッコ・ケンパイネンさん、85歳。
施設は認知症の人のためのグループホームが16床、それ以外の高齢者が入るサービスつき住宅が38戸。ケンパイネンさんがこの住宅で暮らすようになって10年になる。間取りは居間と寝室の2部屋。階下には厨房と食堂、レクリエーション室が備わる。施設という語感が抱かせるイメージは、いい意味で裏切られた。
年金だけで入居費を賄えない人はフィンランド政府の住宅手当を足しにする。介護や生活介助の必要度に応じて受けるサービスには市が支給するバウチャー(利用券)を使う。年金の多少にかかわらず、お金の不安は小さそうだ。
この記事は、きんさん、ぎんさんの話から始めても何の問題もなく成立する。さらに言えば、上記のくだりの後に続く、以下の記述も引っかかった。
【日経の記事】
ひと昔前、日本の特別養護老人ホームで耳にしたのは、亡くなった入居者の身辺を片づけていたら振り込まれた年金が手つかずのままの預金通帳が出てきた――という話だった。金銭観の彼我の差は大きい。
「フィンランドではお金の心配をしなくて済むのに、日本の高齢者はそうではない」と訴えたいのだろう。しかし、年金に全く手を付けず貯め込んでいる高齢者がそれほど一般的だとは思えない。というより、かなり特殊な事例だろう。
そもそも、この施設を記事で紹介する意味もあまり感じられない。施設の特徴を大林編集委員は以下のように記している。
【日経の記事】
ケンパイネンさんの施設は保育園と隣り合っており同じ財団が運営している。朝10時、保育園の大部屋に子供が30人ほど集まってきた。始まったのは車、飛行機、船など乗り物の役割を知るためのゲームだ。隣からやってきた高齢者が何人か、ゲームに興じる子供を笑顔で眺めていた。世代を越えた交流である。
高齢者施設での「世代を越えた交流」は日本でも珍しくない。日本ではあり得ない光景ならば、記事で紹介する意味もあるだろうが…。「ヘルシンキに出張して高齢者施設を取材したので、何か書かないければ」との思いがあるのかもしれないが、無駄な前置きに出張報告を付け加えたような記事を読まされる読者のことも考えてほしい。
最後に、記事中のグラフについて指摘しておく。記事では「日本人の健康寿命は平均寿命ほど延びていない」とのタイトルを付けて4本の折れ線グラフを並べている。平均寿命と健康寿命を男女別に見たものだ。しかし、いずれもわずかな上向き傾向を示しているだけで、視覚的には健康寿命と平均寿命の延びに差が感じられない。これでは、わざわざグラフにする意味がない。
この辺りにも、記事作りに関する大林編集委員のセンスのなさが表れている。フィンランドの話が記事の柱なのだから、例えば、健康寿命と平均寿命の差自体を「日本」と「フィンランド」に分けてグラフにして、「日本は差が開いているのに、フィンランドは正反対」と読者に見せてあげれば、グラフを使う意味が出てくる。
※記事の評価はD(問題あり)、大林尚編集委員の評価はE(大いに問題あり)を維持する。
0 件のコメント:
コメントを投稿