ユトレヒト(オランダ)のカタライネ修道院博物館 ※写真と本文は無関係です |
◎「若者の輪が広がっている」?
【日経の記事】
地方に移り住む若者の輪が広がっている。内閣府が昨年実施した調査では20~30代の過半が「地方移住も良い」と回答。ふるさと回帰支援センターへの問い合わせも半分近くは20~30代からだ。
都会の「歯車」になり、自分を見失いがちな若者たち。大企業神話が色あせた彼らにとって地方は決して「都落ち」の存在ではない。汗をかき仲間や地域と成長する。そんな等身大の活躍の場を求める動きが広がる。
「地方に移り住む若者の輪が広がっている」と書いてあると「地方に移り住む若者が相互に情報をやり取りするネットワークを広げている」と思ってしまいます。しかし、記事には意識調査の結果などが出ているだけです。これでは「輪が広がっている」かどうか判断できません。地方に移り住む若者が増えているかどうかさえ不明です。
「大企業神話が色あせた彼らにとって地方は決して『都落ち』の存在ではない」という説明も気になりました。「大企業神話が色あせた」と言い切っていますが、就職に関して若者に今も根強い大企業志向があるのは、宮東デスクも知っているはずです。「いや、そんなものは色あせている」と考えているのならば、その根拠を読者に見せた方がよいでしょう。
「地方は決して『都落ち』の存在ではない」というのも昔から変わりません。東京の大学を卒業して地方の出身地で就職する学生は当たり前のように昔からいましたし、そういう学生を「都落ち」と冷ややかに見る人はそんなに大勢いたのでしょうか。記事を読むと、昔は「東京を離れて地方で働く=都落ち」と一段低く見られていたような印象を受けます。
◎東京では受身でも色々と生まれる?
【日経の記事】
東大教授の玄田有史(50)は「若者にとって地方は自分に価値があると実感できる場所」とみる。地方では受け身では何も生まれない。悩みながらも自ら考え、自ら動く若者が増えれば、陰る地方の光明になり得る。次代の若者の問いに向き合えば、常識にとらわれない明日の日本の働き方も見えてくる。
「地方では受け身では何も生まれない」という記述からは「東京(あるいは都会)では受け身でも何かしら生まれる」との前提を感じます。しかし、そんなに明確な対比が可能でしょうか。東京では受け身でも何かしら生まれるかもしれませんが、地方でも程度の差はあれ何かしら生まれそうです。地方では受け身だとなかなか物事が前に進まないとすれば、それは東京でも似たようなものではありませんか。そう考えると「地方では受け身では何も生まれない」との説明はかなり強引な断定だと言えます。
「次代の若者の問いに向き合えば」のくだりも、なぜ「今の若者」を飛び越えて「次代の若者」と向き合う必要性を訴えているのか謎です。「次代を担う若者」と言いたかったのなかとは思いますが、「次代の若者」だと「次の時代に現れる若者」と解釈するしかありません。
ここまで色々と注文を付けてきましたが、「働きかたNext」を年初から通して見れば、完成度はそこそこ高まっている気がします。年内にまだ連載があるのならば、これまでに解説したような点に留意して記事を組み立ててみてください。「さすが」と思わせてくれる記事を期待しています。
※記事の評価はC(平均的)とする。宮東治彦デスクへの評価は、強含みながらD(問題あり)を据え置く。
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