日本経済新聞の吉野直也政治部長には自らの不明を恥じるつもりはないようだ。25日の朝刊政治・外交面にも「Angle~プーチン氏の妖気の正体 日本に迫る平時の防衛」という記事を書いている。これを読むと吉野部長はずっと前から色々とお見通しだったように見える。
夕暮れ時の筑後川 |
そのくだりを見ていこう。
【日経の記事】
政治家にはそれぞれに独特の雰囲気がある。これまで取材対象として日米両国の多くの政治家に接し、それを体感した。その政治家たちとは明らかに異質だと思ったのはロシアのプーチン大統領だ。
10年前の2012年にメキシコのロスカボスで開いた20カ国・地域首脳会議(G20サミット)。会議終了後、再登板したばかりのプーチン氏の記者会見に初めて出席した。前方に座り、プーチン氏の様子をできるだけ近距離で観察しようと試みた。
プーチン氏が会見場に現れた瞬間にえも言われぬ妖気を感じた。会見にはラブロフ外相をはじめ大勢のロシア政府の高官が陣取った。すぐ近くにいたラブロフ氏の神妙な表情をみて、プーチン氏の執務の日常がなんとなく想像できた。
中略)ロシア軍がウクライナに侵攻してから1カ月がたった。プーチン氏が自らの欲望のためにウクライナ国民を無差別に大量殺りくする非道な行為はテロともいえる。10年前に違和感を覚えたプーチン氏の妖気の正体をみた気がした。
◎それを伝えた?
後出しじゃんけん的な内容ではある。「10年前に違和感を覚えたプーチン氏の妖気」を吉野部長は当時の記事で伝えたのだろうか。伝えていない場合「今さら言われても」とは感じる。
そもそも「10年前に違和感を覚えたプーチン氏の妖気」を覚えているならば、米国による警告が始まった時点で「ウクライナ侵攻は高い確率で起きる」と感じたはずだ。しかし2月11日付の「Angle 弱い米国がもたらす世界~『二正面』放棄の仮想と現実」という記事では、むしろ逆の見方をしていた。
そこも見ておこう。
【日経の記事(2月11日)】
ウクライナ情勢の緊迫というのは、米ロ融和の仮説と真逆になる。プーチン氏が米側の思惑を逆手にロシアの値をつり上げているようにも映る。
米ロ接近が長い目でみてあり得るとの考えに立つと、ウクライナの軍事的な緊張は、小競り合いがあったとしても、大規模な紛争に発展しないことになる。
◎なぜこんなに間違えた?
予測が外れたことを責めるつもりはない。だが、1カ月前の同じコラムで「米ロ接近が長い目でみてあり得るとの考えに立つと、ウクライナの軍事的な緊張は、小競り合いがあったとしても、大規模な紛争に発展しないことになる」と書いたのならば、なぜ見誤ったのかには触れてほしい。
「米ロ接近が長い目でみてあり得る」状況は今も変わらない。あらゆる2国間関係は「接近が長い目でみてあり得る」。それを「大規模な紛争」が起きない十分条件と見るのならば、「大規模な紛争」は世界から消えるだろう。
吉野部長の分析は翌月に大きく変わる。3月25日の記事に戻ろう。
【日経の記事】
プーチン氏が戦争を決断したのは、米国の不介入が大きい。ロシア軍がウクライナ国境に集結した時点で戦争を抑止することはできなかった。
◎だったらなぜ「戦争不可避」と見なかった?
「ロシア軍がウクライナ国境に集結した時点で戦争を抑止することはできなかった」と見るのならば2月11日の記事を書く段階で戦争は避けられないと判断できたはずだ。「米国の不介入」も「ロシア軍がウクライナ国境に集結」していることも、この時点で報じられていた。
繰り返すが、予測が外れるのはいい。だからと言って雑な分析を記事で披露して、何もなかったかのように解説するのは感心しない。
さらに記事を見ていく。
【日経の記事】
「有事に至る前に戦力を集中していなければ、いざという時に戦えない」。自民党の小野寺五典安全保障調査会長は指摘する。平時の防衛の重要性だ。
日本国内では平時に米軍が緊急参集し、民間空港などに常駐して大規模な部隊展開をするための法制度が整っていない。安全保障関連法にいわゆる平時の想定がないためだ。プーチン氏の戦争は日本の法制度の抜け穴も浮き彫りにする。
防衛研究所の高橋杉雄防衛政策研究室長は「政治指導者が自己責任による判断ができるかどうかで法制度の問題ではない。事態認定を早くすればいい」と語る。
指導者が事態認定を早くするにしても世論の一定の支持は欠かせない。プーチン氏の戦争に関連して日本の国民一人ひとりが自国の抑止力について理解を深め、考える必要がある。
◎米軍が守る前提?
「日本国内では平時に米軍が緊急参集し、民間空港などに常駐して大規模な部隊展開をするための法制度が整っていない」と吉野部長は問題視する。
自衛隊はどうなったのか。「民間空港」は「平時」から「米軍が緊急参集」して守るべきとの考えなのか。なぜ自衛隊は蚊帳の外なのか。その説明が欲しい。
日経は安全保障面での属国路線を強く支持しているので「平時からも米国の軍隊が日本で自由に活動すべき」というスタンスなのだとは思う。それも1つの考え方ではある。いっそ「平時から安全保障に関する全権を米国政府に託すべきだ」と訴えてはどうか。今とそれほど変わりないような気もするが…。
※今回取り上げた記事「Angle~プーチン氏の妖気の正体 日本に迫る平時の防衛」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220325&ng=DGKKZO59376900V20C22A3PD0000
※記事の評価はD(問題あり)。吉野直也政治部長への評価はDを維持する。吉野部長に関しては以下の投稿も参照してほしい。
おかしな分析を連発…日経 吉野直也政治部長の「Angle~弱い米国がもたらす世界」https://kagehidehiko.blogspot.com/2022/02/angle.html
トランプ氏の発言を不正確に伝える日経 吉野直也記者
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/05/blog-post_7.html
トランプ大統領「最初の審判」を誤解した日経 吉野直也次長
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/03/blog-post_13.html
日経 吉野直也記者「風見鶏~歌姫がトランプ氏にNO」の残念な中身
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/10/no.html
漠然とした訴えが残念な日経 吉野直也政治部長「政策遂行、切れ目なく」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/08/blog-post_29.html
日経が好んで使う「力の空白」とは具体的にどんな状況? https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/08/blog-post_30.html
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