2021年7月8日木曜日

具体策なしに「成長促進と財政規律」の両立を求める日経の社説

8日の日本経済新聞朝刊総合1面に載った「成長促進と財政規律を両立できる予算に」という社説は「ホームランを量産しつつ三振も避けるバッテッィングを」と求めているようなものだ。「求めるな」とは言わない。だが「両立」が難しいものに関して「両立」を求めるのならば具体策が欲しい。なのに抽象的な訴えが目立つ。

夕暮れ時の風景

全文を見た上でさらに論じたい。

【日経の社説】

政府は7日の閣議で、2022年度予算の概算要求基準を了解した。これに沿った各省庁の概算要求を8月末に締め切り、年末に予算案を編成する運びだ。

財政の規律を保ちつつ、新型コロナウイルス対策や成長基盤の強化に国費を重点配分する必要がある。不要不急の支出で予算をいたずらに膨らませてはならない

21年度予算の編成は、コロナ禍で異例の対応を迫られた。感染症の収束を予見できないという理由で明確な概算要求基準の設定を見送り、各省庁の概算要求の締め切りも1カ月延ばした。

コロナ対策については、金額を明記しない「事項要求」を今回も認める。ただ成長戦略を推進するための「特別枠」を設け、高齢化の進展に伴う社会保障費の「自然増」を抑える目安を示すなど、例年の手法に近い形に戻した。

コロナ禍の克服はいまも最優先の課題だ。とはいえワクチンの接種率が上がり、経済社会活動の正常化が進むにつれて、この先の成長基盤の強化や財政の健全化をより強く意識せざるを得ない。

緊急時でも投入できる国費には限りがある。政府が「青天井」の概算要求を見直し、一定の基準を復活させたのは妥当だろう。

重要なのは無駄やばらまきを排し「賢い支出」に徹する姿勢だ。20~21年度の国の一般会計総額は当初予算と補正予算の合計で280兆円を超えたが、使い残しや繰り越しも目立つという。その検証を怠ったまま、むやみに予算を積み上げていいはずがない。

コロナ対応の名目で経済対策を繰り返しても、困窮者の救済や病床の確保といった問題はなかなか解消しない。背景には様々な要因があろうが、予算配分の優先順位も正しいとは言い難い。

成長戦略にも同じことが言える。デジタル化やグリーン化などの推進に予算を重点配分するのは当然だが、緊急性や必要性の高い事業を選別しなければ、絵に描いた餅になりかねない。

各省庁は節度とメリハリのある概算要求を心がけるべきだ。景気の回復で税収が堅調なのを幸いに、コロナ対策の不透明な事項要求を連発したり、成長戦略の名目で不要な公共事業や施設整備を強要したりするのは許されない。

コロナ対策はもちろん、成長の促進や財源の確保に心を砕くのは米欧も同じだ。日本も責任ある予算編成を心がけたい


◎「投入できる国費には限りがある」?

重要なのは無駄やばらまきを排し『賢い支出』に徹する姿勢だ」と言うが「賢い支出」に当たるかどうかの判断基準は示していない。「予算配分の優先順位も正しいとは言い難い」とも書いている。しかし、「予算配分の優先順位」の正解は教えてくれない。「緊急性や必要性の高い事業を選別しなければ、絵に描いた餅になりかねない」とも訴えてはみるものの「緊急性や必要性の高い事業」の「選別」方法は示していない。

それで結局「日本も責任ある予算編成を心がけたい」と社説を締めている。「具体策は示さないけど上手くやってね」的な社説に意味があるのか。

さらに言えば「財政規律」を保てているのかどうやって判断するのかという問題も残る。「財政の規律を保ちつつ、新型コロナウイルス対策や成長基盤の強化に国費を重点配分する必要がある」との記述から判断すると、現状ではまだ「財政の規律」を保てていると筆者は見ているのだろう。しかし、どういう状況になると「財政規律」が保てていないと判断するのかは触れていない。

もう1つ指摘しておきたい。

緊急時でも投入できる国費には限りがある」と書いているが、「投入できる国費」の限界はどこにあるのか。政府・日銀は無限に日本円を創出できる。「投入できる国費」に「限り」はない。

金本位制ならば当然に「限り」はある。しかし日本は金本位制ではない。本当に「限りがある」のか。日経の論説委員は改めて考えてほしい。


※今回取り上げた社説「成長促進と財政規律を両立できる予算に

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210708&ng=DGKKZO73671240Y1A700C2EA1000


※社説の評価はD(問題あり)

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