日本経済新聞の朝刊1面コラム「春秋」の筆者は日経がメディアであることを忘れているのだろうか。12日の「春秋」はそう思わせる内容だった。
有明海 |
全文は以下の通り。
【日経の記事】
法令順守と訳される「コンプライアンス」。企業統治の意味で使う「ガバナンス」。ビジネスの世界には海外から入って来た用語が目立つ。日本にはそうした概念が希薄だった、という事情もあるだろう。だからコンプライアンスやガバナンスは、たびたび問題になる。
インフォームドコンセントも輸入された概念である。30年ほど前、日本で臓器移植を行うための条件を考えようと米国で取材した。そのとき医療の現場で何度も聞いたのが、この言葉だった。患者に徹底して説明し、同意を得て治療にあたる。「同意を得られなかったら?」と尋ねると、答えは「さらに説明する」だった。
コロナ禍は医療資源の偏在やデジタル化の遅れなど、日本が抱える様々な弱点、課題を浮き彫りにした。政府の説明力の乏しさも、その一つであろう。だれもが難しい局面であることは分かっている。説明が納得できれば同意して従う。だがその気持ちを萎えさせるような言動や立ち居振る舞いが目立っているのが現状だ。
企業に求めるテレワークが、政府内では励行されていないように見えるのはなぜ? 国を挙げて実施した「Go To イート」はどう総括するのか? 疑問は尽きず、もやもやしたまま2回目の緊急事態生活が続く。乗り切るには真摯で、かつこまめな情報発信が欠かせない。アカウンタビリティー(説明責任)である。
◎日経が答えを出そう!
「企業に求めるテレワークが、政府内では励行されていないように見えるのはなぜ? 国を挙げて実施した『Go To イート』はどう総括するのか? 疑問は尽きず、もやもやしたまま2回目の緊急事態生活が続く」らしい。それを一面のコラムで堂々と書くとは…。恥ずかしくないのか。
筆者はまず自分で取材して記事にしようとすべきだ。様々な事情でできないとしても「疑問は尽き」ない状況を放置している日経自身を恥じてほしい。
それをせずに「乗り切るには真摯で、かつこまめな情報発信が欠かせない。アカウンタビリティー(説明責任)である」と政府に責任を丸投げして記事を締めている。「もやもやしたまま」行動せずに済ませる筆者は、メディアの一員として読者への「責任」を果たしているのか。よく考えてほしい。
ついでに言うと「『同意を得られなかったら?』と尋ねると、答えは『さらに説明する』だった」というくだりも引っかかった。筆者はこれを「説明責任」を果たそうとする医師の立派な姿勢と捉えているようだが同意できない。多くの患者は医師が熱心に勧める治療法に誘導されてしまう。そうなると「インフォームドコンセント」にあまり意味がなくなる。
例えば手術についてメリットとリスクを十分に説明し、患者が「手術はしない」と決めたら医師はそこで引くべきだ。「それでいいんですか。手術をしないと大変なことになりますよ。なぜなら…」などと説得するのはやめてほしい。
※今回取り上げた記事「春秋」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210112&ng=DGKKZO68058300S1A110C2MM8000
※記事の評価はD(問題あり)
批評趣旨に鑑みれば「メディア」という用語は「ジャーナリズム」あるいは「ジャーナリスト」に置き換えるべきと考えます。
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