能古港(福岡市)のフラワーのこ※写真と本文は無関係 |
記事では「新型コロナウイルスの感染拡大と似た事例を近代の歴史に探してみた。しばしば指摘されている100年前のスペイン風邪の流行がそうだ」と記した上で「スペイン風邪」を振り返るのに記事の半分程度を費やしている。しかし、それが「『染後国家』をどうつくるか」にうまくつながっていない。
芹川氏も書いているように「スペイン風邪」から新型コロナウイルス問題のヒントを得ようとする記事は既にたくさんある。今さら感があるだけに「『染後国家』をどうつくるか」とはしっかり関連付けてほしかった。しかし、今回に関しては歴史を振り返って行数稼ぎをしただけとしか思えない。
「『染後国家』をどうつくるか」に触れた記事の後半を見ていこう。
【日経の記事】
「1918年には米騒動がおこり、20年には日本初のメーデーがひらかれるなど労働組合が組織され、農民組合もできてくる。第1次世界大戦で成り金が生まれて貧富の差が可視化される。格差是正が問題になってきていた」
「それを少しでも解消しようとするひとつのあらわれとしてスペイン風邪対策が出てきた。危機的な状況を克服する過程で、どういう新しい社会をつくろうとしているのかが見えてくる」
12年の第1次護憲運動、16年の吉野作造の代表的論文「憲政の本義を説いて其有終の美を済(な)すの途(みち)を論ず」、18年の「平民宰相」である原敬内閣の発足、普通選挙運動、そして24年の第2次護憲運動をへて、政党内閣制の確立に向かった大正という時代。
スペイン風邪という社会的な危機に向き合った人びとの行動は「自由と平等」の社会をめざす大正デモクラシーの流れそのものだった。
今の日本に引きつけてみるとどうなるだろうか。2011年の東日本大震災のあと、戦後から脱却し新しい日本をつくろうとして「災後国家」が提唱された。残念ながら戦後つづいてきた国家の仕組みが変わることはなかった。ある意味で東北限定の問題としか受けとめられなかったこともあったに違いない。
こんどは違う。全国の人びとが同じように新型コロナ感染の恐怖にさらされている。おのずと国や地方の対応、社会のありようを考えざるを得なくなっている。それは感染後の「染後国家」の姿につながるものだ。
コロナの処理をうまくできるのが社会の秩序を重視する強権的な監視型の国家なのか、それとも個人の人権を大事にする自由主義の国家なのか、という問題でもある。
井上教授は「秩序だけで自由がないのも、自由だけで無秩序なのも、いずれもダメで、その最適解がどこにあるのかの合意形成が必要になってくる。自由と秩序のバランスをどこまでとっていける社会になるのかが大事だ」と指摘する。
緊急事態宣言を受けて個人や企業の行動を規制して感染拡大を防ごうというときに果たして自粛だけで良いのか。強制力を伴う制度的な枠組みを整えておく必要はないのかどうか。
「自由と秩序」の均衡をいかに図っていくかこそが、染後の令和日本に突きつけられている課題のような気がしてならない。
◎話が合ってないような…
「スペイン風邪という社会的な危機に向き合った人びとの行動は『自由と平等』の社会をめざす大正デモクラシーの流れそのものだった」というのが芹川氏の認識だ。これが正しいかどうかは置いておく。
そこから「今の日本に引きつけてみる」のであれば、新型コロナウイルス問題という「社会的な危機に向き合った人びとの行動」を「『自由と平等』の社会をめざす」動きへと結び付けていくべきだとの主張になるのが自然だ。
しかし話はむしろ逆。「感染拡大を防ごうというときに果たして自粛だけで良いのか。強制力を伴う制度的な枠組みを整えておく必要はないのかどうか」と問いかけている。芹川氏としては「自粛だけで」は問題解決が困難なので「自由」を制限すべきだと言いたいのだろう。
それを否定はしないが「だったらなぜ長々と『スペイン風邪』の話をしたのか」と聞きたくなる。
さらに残念なのが「『自由と秩序』の均衡をいかに図っていくか」について芹川氏自身の具体案がないことだ。
感染拡大を防ぐために、どの程度「自由」を制限すべきかが難しくて重要な問題であるのは多くの人が理解している。芹川氏に言われるまでもない。問題はそのバランスだ。
「『自粛』だけじゃ足りないかも。どのぐらい強制的な行動制限を許すべきか皆で考えなくちゃ」程度のことしか言えないのならば「核心」というタイトルで長文のコラムを載せる意義は乏しい。
※今回取り上げた記事「核心~『染後国家』をどうつくるか」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20200427&ng=DGKKZO58468640U0A420C2TCR000
※記事の評価はD(問題あり)。芹川洋一氏への評価はDを据え置く。芹川氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。
日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_50.html
日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_98.html
日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(3)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_51.html
日経の芹川洋一論説委員長は「裸の王様」? (1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/08/blog-post_15.html
日経の芹川洋一論説委員長は「裸の王様」? (2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/08/blog-post_16.html
「株価連動政権」? 日経 芹川洋一論説委員長の誤解
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/08/blog-post_31.html
日経 芹川洋一論説委員長 「災後」記事の苦しい中身(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/03/blog-post_12.html
日経 芹川洋一論説委員長 「災後」記事の苦しい中身(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/03/blog-post_13.html
日経 芹川洋一論説主幹 「新聞礼讃」に見える驕り
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/04/blog-post_33.html
「若者ほど保守志向」と日経 芹川洋一論説主幹は言うが…
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/blog-post_39.html
ソ連参戦は「8月15日」? 日経 芹川洋一論説主幹に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/11/815.html
日経1面の解説記事をいつまで芹川洋一論説主幹に…
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_29.html
「回転ドアで政治家の質向上」? 日経 芹川洋一論説主幹に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/08/blog-post_21.html
「改憲は急がば回れ」に根拠が乏しい日経 芹川洋一論説主幹
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2018/01/blog-post_29.html
論説フェローになっても苦しい日経 芹川洋一氏の「核心」
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/04/blog-post_24.html
データ分析が苦手過ぎる日経 芹川洋一論説フェロー
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/06/blog-post_77.html
「政権の求心力維持」が最重要? 日経 芹川洋一論説フェローに問う
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/10/blog-post_79.html
「野党侮れず」が強引な日経 芹川洋一 論説フェローの「核心」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/06/blog-post_18.html
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