耳納連山と菜の花(福岡県久留米市) ※写真と本文は無関係です |
特集「牙むく株主」の中の「会社はモノでありヒト 会社財産は会社の所有物」という記事で岩井氏は以下のように述べている。
【東洋経済の記事】
では、どうしたらミルトン・フリードマンの呪縛から抜け出せるのか? その道はただ1つ。「会社は株主のものでしかない」という見方は「理論的な誤り」であることを示すことである。
企業には、街角の八百屋さんのような法人化されていない「単なる企業」と、トヨタ自動車のような「法人化された企業」がある。この2つをまったく同じに扱ったのがフリードマンの誤りだ。法人企業の別名──それが「会社」だ。
◎「単なる企業」?
まず「街角の八百屋さんのような法人化されていない『単なる企業』」という説明が引っかかる。「企業」とは「営利を目的として、継続的に生産・販売・サービスなどの経済活動を営む組織体」(デジタル大辞泉)だ。「街角の八百屋さん」が「法人化されていない」場合、一般的には「企業」とは呼ばないだろう。
続きを見ていく。
【東洋経済の記事】
「単なる企業」も「法人企業」としての「会社」も、営利的な経済活動をする「企業」であるという点では同じだ。だが、両者の間では、法律的な構造や経済的な仕組みに根源的な違いがある。
「単なる企業」の場合「企業はオーナーのもの」である。八百屋が売るリンゴや仕入れ用のトラックなど、商売道具はすべてオーナーの所有物。だから店頭のリンゴを店の主人が食べても誰もとがめない。オーナーの権利は無限だ。
◎「法人化」してても同じでは?
岩井氏の説明によれば、「単なる企業」は「法人化されていない」企業を指す。しかし「企業はオーナーのもの」という理屈は「法人化され」たオーナー企業でも同じだ。「店の主人」が唯一の株主であるオーナー企業であれば、「店頭のリンゴを店の主人が食べても誰もとがめない」はずだ。
さらに見ていこう。
【東洋経済の記事】
裏腹に、責任も無限である。仕入れに使うトラックが事故を起こせばオーナーが法廷に立つ。業績の悪化で信用金庫からの借金が返せなくなったら、オーナーの個人資産が差し押さえられる。「単なる企業」のオーナーは権利も無限だが、責任も無限なのである。
これに対して法人企業、つまり会社はまったく別の仕組みだ。フリードマンに心酔して、「会社は株主のものである」と信じ込み、百貨店の株主が地下の果物売り場にあるリンゴをがぶりと食べたらどうなるか。窃盗罪である。
なぜなら、株主は会社財産の所有者ではないからである。法人としての会社が所有者である。「法人」とは法律上ヒトとして扱われるモノのことである。店頭の商品も、工場の機械も、社長室の机も、すべて法律上のヒトとしての会社の所有物なのである。また外部との取引契約もすべて法人としての会社の名で結ばれ、裁判では法人としての会社が被告や原告になる。
では、株主は何を所有しているのか? 会社の株式を所有しているのである。株式とはモノとしての会社の別名であり、モノとしての会社を売り買いする市場が株式市場なのである。
したがって、株主の責任は有限である。会社が倒産しても、債権者は会社財産しか差し押さえられない。株主は株券の価値を失う以外は、個人資産は失わない。
責任が有限ならば、権利も当然有限である。会社の株主が、単なる企業のオーナーのように、会社に対して無限の権利を要求するならば、無限の責任を引き受けなければならない。会社は株主のものでしかないというフリードマンの主張は、理論的な誤りなのである。
◎矛盾してない?
「株主は何を所有しているのか?」との問いの答えは「会社の株式を所有しているのである」ということらしい。そして「株式とはモノとしての会社の別名」だと言う。だとすると「モノとしての会社」を「所有している」のは「株主」となる。なのに「会社は株主のものである」という主張は誤りなのか。
「モノ」に関して「有限」の「権利」しか有していない場合、その「権利」者は「モノ」を所有していないという前提を岩井氏の主張には感じる。しかし、そうとは言い切れないはずだ。
ペットとして飼っている犬や猫への虐待が法律で禁じられている場合、ペットへの「権利」は「有限」だ。しかしペットショップでカネを払って犬を買った飼い主に対して「その犬はあなたのものではない」と主張するのは無理がある。
※今回取り上げた記事「会社はモノでありヒト 会社財産は会社の所有物」
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/23400
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