2019年6月27日木曜日

日経 上杉素直氏 やはり麻生太郎財務相への愛が強すぎる?

日本経済新聞の上杉素直氏(肩書は本社コメンテーター)と言えば「麻生太郎氏への愛情が非常に強い」という印象がある。27日の朝刊オピニオン2面に載った「Deep Insight~未来に背を向けた金融庁」という記事では、麻生氏の責任に触れないことでその愛情を示しているように見える。
旧野蒜駅プラットホーム(宮城県東松島市)
        ※写真と本文は無関係です

「年金2000万円問題」に関して上杉氏は以下のように記している。

【日経の記事】

そんな未来への転換と逆行するむなしい光景をここ数週間、私たちは見せつけられた。老後に2000万円の金融資産が要るという試算を示した金融審議会の市場ワーキング・グループの報告書をめぐる騒動だ。麻生太郎財務・金融相は「政府の政策スタンスと違う」という理由で受け取りを拒み、報告書を撤回させた。選挙を控えた与党の圧力があったのは、連日の報道が伝えるところだ。

騒動を通じて、年金の制度を早急に点検し直さなければいけないことは改めてはっきりした。それはそれできちんとやってもらいたい。ただ、騒動がもたらした2つの後退の懸念は、ある意味でもっと深刻だと思う。

まずはなにより、資産運用というジャンルを確立していこうという機運はすっかり出ばなをくじかれた。日本の資産運用ビジネスは大手銀行や生命保険会社の系列の形で発展してきたぶん、欧米に比べて本当のプロが少ないとされてきた。親会社の目線でなく客のための資産運用に徹するプレーヤーがひしめく厚みが生まれれば、個人の資産運用の選択肢が広がるだけでなく、海外からのマネーも勢いが増すと期待できる。

その道筋を示すのが金融審議会の報告書の趣旨だった。金融庁は報告書をふまえる形で新しい部署をつくり、関係する税制も整えようとしていた。報告書を撤回しようとも、私たちの老後への備えが欠かせない事実は変わらないのだから、準備してきた政策を滞らせるとしたら理不尽だ

もう1つは政と官のいびつな関係。学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる決裁文書改ざんで、財務省の元局長らが処分されたのは1年ほど前だった。本来は公に尽くすべき官僚が過剰なまでにときの政権に配慮し、決裁文書を書き換えてしまった出来事に世間はあきれた。政治ににらまれると正論であっても謝罪に走る今回の行動は、森友のときとどこか似通う。森友の問題を受けて官僚たちは役所の運営を改めるすべを考えてきたはずだが、むしろ、問題の根が霞が関の隅々まで広がってきたようにさえ映る


◎「霞が関」の問題?

麻生太郎財務・金融相は『政府の政策スタンスと違う』という理由で受け取りを拒み、報告書を撤回させた。選挙を控えた与党の圧力があったのは、連日の報道が伝えるところだ」と上杉氏は書いている。

さらに「金融庁は報告書をふまえる形で新しい部署をつくり、関係する税制も整えようとしていた。報告書を撤回しようとも、私たちの老後への備えが欠かせない事実は変わらないのだから、準備してきた政策を滞らせるとしたら理不尽だ」と訴える。

報告書を撤回」→「準備してきた政策を滞らせる」という流れが「理不尽」ならば、「選挙を控えた与党の圧力」に問題があるのは間違いない。そして「『政府の政策スタンスと違う』という理由で受け取りを拒み、報告書を撤回させた」のは上杉氏が深い愛情を注ぐ「麻生太郎財務・金融相」だ。

理不尽」を生み出した筆頭格とも言える「麻生太郎財務・金融相」を上杉氏は責めようとはしない。これまでの上杉氏を知っていれば違和感はないが、普通に読むと「なぜ麻生氏の責任は問わないのか」と感じるだろう。

政治ににらまれると正論であっても謝罪に走る今回の行動は、森友のときとどこか似通う」「問題の根が霞が関の隅々まで広がってきたようにさえ映る」と上杉氏は言う。

麻生太郎財務・金融相」らの責任は問わずに「正論」ならば政治家と戦えと上杉氏は求めている。では、戦うとどうなるのか。「麻生太郎財務・金融相」は「報告書」を受け取ってくれるのか。そもそも政治家が決めた方針に逆らって「報告書を受け取れ!」と戦いを挑むのは「役所」の在り方として正しいのか。

指示が違法だったり非人道的だったりするのならば話は別だが、基本的には政治家の命令に従って動くのが「役所」の仕事ではないのか。

記事の続きも見ておこう。

【日経の記事】

前身の金融監督庁が旧大蔵省(現財務省)から分離してできたのは1998年。約1600人の職員の4分の1を民間出身者が占めるなど、ほかの中央省庁とはちょっと違った風土をもっている。国際的に見ても、金融行政の担い手としては珍しい成り立ち方をしている。銀行や証券、保険会社のすべてを1つの機関で対応する幅の広さ。さらに、中央銀行などではなく、政府の一部門である点だ。

国内外の両面でユニークな立場には長所も短所もある。他省庁とのふだんの付き合いや人材の交流はやりやすくなるだろうし、国会との接点が多く法律づくりにも関わりやすい。半面、公務員ならではの報酬の制約もあり、ブロックチェーンのような最新の技術にたけた人材を連れてくるのは難しい。安定した組織づくりが期待できる一方、運営はルールに縛られ硬直的になりがちだ。

もし、政治への配慮も役所が避けられない必要悪なら、金融行政の担い手は役所でないほうがよい。金融庁が頭を悩ませるべきは選挙の都合より、世界の先端の動きだということを確かめたい。



◎結局どうすべき?

金融庁には「長所も短所もある」とあれこれ書いた後に、唐突に「政治への配慮も役所が避けられない必要悪なら、金融行政の担い手は役所でないほうがよい」と打ち出している。しかし「具体的にどうするのか」は論じないまま「金融庁が頭を悩ませるべきは選挙の都合より、世界の先端の動きだということを確かめたい」と話を逸らして記事を締めている。
タマホーム スタジアム筑後(福岡県筑後市)
          ※写真と本文は無関係です

長所も短所もある」話は結論部分とつながっていないので捨てていい。その代わりに「金融行政の担い手は役所でないほうがよい」という主張に関して説明すべきだ。

役所」がダメならば、どこに「金融行政の担い手」を任せるのかが最大の問題だ。記事から候補を推測すると「中央銀行」か。しかし「中央銀行」も「政治への配慮」から無縁ではいられない。

そもそも「政治への配慮」から無縁の組織が「金融行政の担い手」になるのならば、「政治」が「金融行政」を制御するのは非常に難しくなる。それは望ましいことなのか。そこを論じないまま「政治への配慮も役所が避けられない必要悪なら、金融行政の担い手は役所でないほうがよい」と言われても説得力は感じられない。


※今回取り上げた記事「Deep Insight~未来に背を向けた金融庁
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190627&ng=DGKKZO46602500W9A620C1TCT000


※記事の評価はD(問題あり)。上杉素直氏への評価はDを維持する。上杉氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「麻生氏ヨイショ」が苦しい日経 上杉素直編集委員「風見鶏」
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/03/blog-post_25.html

「医療の担い手不足」を強引に導く日経 上杉素直氏
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/07/blog-post_22.html

麻生太郎財務相への思いが強すぎる日経 上杉素直氏
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/09/blog-post_66.html

地銀に外債という「逃げ場」なし? 日経 上杉素直氏の誤解
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/03/blog-post_8.html

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