2019年5月23日木曜日

「60点」すら与えられない山口周氏「アーティストに学ぶ超一流の仕事術」

山口周氏について多くを知っている訳ではないが、週刊東洋経済5月25日号に載った「アーティストに学ぶ超一流の仕事術 No.11(坂本龍一)努力が報われない人は仕事選びの戦略がない」という記事を読む限りでは、書き手としての能力に疑問符が付く。

勘定場の坂(大分県杵築市)
    ※写真と本文は無関係です
記事を見ながら具体的に問題点を指摘していく。

【東洋経済の記事】

 一生懸命頑張っているのに評価されない、と嘆いている人はどこにでも見られますが、こういう人たちに共通するいくつかの特徴があります。中でも「いつも80点を取っている」という点はその筆頭に挙げられるでしょう。当たり前のことですが、80点の人は100点の人にはかないませんし、100点の人は120点の人にかないません。つまり「いつも80点を取っています」という「義務感の人」は、「ほとんどの仕事は60点でやり過ごしているけど、面白い仕事が来ればむちゃくちゃ頑張って120点を出します」という「好奇心の人」に毎回負けている、ということです。



◎「毎回負けている」?

まず「毎回負けている」とは思えない。「好奇心の人」は10回中9回が「60点」で1回が「120点」だとしよう。「義務感の人」は「いつも80点」なので10回中9回は「好奇心の人」に勝てる。同じ職場に2人がいたら「義務感の人」の方が評価が高くても不思議はない。

いつも80点」の「義務感の人」は「好奇心の人」が大勢いた場合に誰かに負けるという意味で「毎回負けている」と言っているのかもしれないが、1人対大勢の比較に意味があるとは思えない。

常識的に考えれば「いつも80点」の人はかなり高い評価を得られるはずだ。プロ野球で考えてみよう。先発投手の80点は7回2失点辺りか。これを安定して続けられるのであれば、完投や無失点が年間通して一度もなくても先発投手の座は安泰だ。

普段は5回3失点ぐらいだが年に1度か2度は完封するという「好奇心の人」タイプの投手と比べたら「義務感の人」タイプの方が重宝されそうだ。

さらに記事を見ていこう。

【東洋経済の記事】

高い評価を勝ち得て社会のステージをドンドン上っていく人は、「ここぞ」という打席の見極めがうまい。その典型例として挙げたいのが音楽家の坂本龍一さんです。もちろん、坂本さんの音楽的な才能と努力が今日の高い評価の礎を成していることは論をまちません。しかし、ここで改めて指摘しておきたいのが、坂本さんの「仕事選びのうまさ」という点です。

坂本さんが世に出るきっかけとなったのは細野晴臣さん、高橋幸宏さんと結成したテクノバンド「YMO」でした。このバンドが世界的な評価を得たことで、坂本さんにはさまざまな作曲依頼が舞い込むことになりますが、それらの依頼のほとんどを断っています。
 そんな折、大島渚監督から映画『戦場のメリークリスマス』への出演を依頼されます。そう、役者としての「出演」であって「作曲」ではありません。この依頼に対して「作曲もやらせてくれるのなら、出演しましょう」という提案をして引き受けることになります。決定的だったのは、この映画にデヴィッド・ボウイが出演するという点でした。「デヴィッド・ボウイが出演する映画であれば、世界中の音楽・映画関係者が見るだろう。その映画の音楽を作曲すれば、自分の実力を世界中にアピールする最高の機会になる」と考えたそうなんですね。

結局、この映画音楽は世界的に高い評価を獲得し、次の映画音楽の仕事、つまりベルナルド・ベルトルッチの『ラストエンペラー』の映画音楽へとつながっていくことになります。果たせるかな、『ラストエンペラー』の映画音楽はアカデミー作曲賞を獲得することになり、映画音楽作曲家としての坂本さんの名声と信用は頂点に達することになります。ここでもやはり、『ラストタンゴ・イン・パリ』を筆頭に数々の名作を制作してきた名監督、ベルトルッチの新作の音楽を担当すれば間違いなく多くの人に聴いてもらうことができるという計算が働いていたはずです。

引き受けた仕事に全力を出し切るのは美徳かもしれませんが、人間の時間と体力には限りがありますからすべての仕事に全力で取り組むことは現実には不可能です。つまり、そもそも「どの仕事を引き受け、どの仕事を引き受けないか」という仕事選びの戦略に裏打ちされてこそ、その「引き受けた仕事に全力で取り組む」という美徳が成果と評価につながるのです


◎坂本龍一さんは「ほとんどの仕事は60点」?

『ここぞ』という打席の見極めがうまい。その典型例として挙げたいのが音楽家の坂本龍一さんです」と言うのならば「坂本龍一さん」はほとんどの「打席」を「60点でやり過ごしている」必要がある。
粟嶋公園(大分県豊後高田市)※写真と本文は無関係です

しかし記事では「さまざまな作曲依頼が舞い込むことになりますが、それらの依頼のほとんどを断っています」と書いている。これだと「60点でやり過ごしている」仕事が見当たらない。坂本さんが「ほとんどの仕事は60点でやり過ごしているけど、面白い仕事が来ればむちゃくちゃ頑張って120点を出します」という「好奇心の人」ならば、「依頼」をどんどん受けた上で「面白い仕事」だけを「むちゃくちゃ頑張って」他では「60点」を連発しているはずだ。

結局、「好奇心の人」「義務感の人」の話と「坂本龍一さん」の話が噛み合っていない。これでは記事として成立しない。

しかも「引き受けた仕事に全力を出し切るのは美徳かもしれませんが、人間の時間と体力には限りがありますからすべての仕事に全力で取り組むことは現実には不可能です」という説明もおかしい。この説明が成り立つためには「坂本龍一さん」が「引き受けた仕事」の中で「全力を出し切る」ものと、そうでないものを分けていなければならない。しかし、記事にそうした話は出てこない。

一般論として考えても「人間の時間と体力には限りがありますからすべての仕事に全力で取り組むことは現実には不可能です」との説明に同意はできない。それは「仕事」の量次第だろう。再びプロ野球で考えると、抑え投手の投球回数は多くても年間60イニングぐらいだ。勝ちゲームの最後を1イニング抑えるために年間60回の「仕事」があるしよう。この場合「すべての仕事に全力で取り組むことは現実には不可能」だろうか。

贔屓にしているチームの抑えが「すべての仕事(登板)に全力で取り組むことは現実には不可能」などとコメントしてたら「だったら引退しろ」と言いたくなる。本人に確認した訳ではないが、ほとんどの抑え投手は毎回「全力で」相手打者に立ち向かっているはずだ。

記事では「その『引き受けた仕事に全力で取り組む』という美徳が成果と評価につながるのです」とも書いている。これだとやはり「ほとんどの仕事は60点でやり過ごしているけど、面白い仕事が来ればむちゃくちゃ頑張って120点を出します」にはならない。「引き受けた仕事」は常に「120点」を目指せという話になってしまう。

仕事を選びにくいサラリーマンに当てはめると、常に全力で「120点」を目指すしかない。もう「好奇心の人」とか「義務感の人」に分ける意味はなくなっている。

ここまでで山口氏の書き手としての実力は十分に分かった気もするが、さらに続きを見ていく。

【東洋経済の記事】

では、その「仕事選び」はどのような視点で行えばよいのでしょうか? ポイントは「成長」と「評価」の2つです。

まず成長について。これは、その仕事を引き受けるうえで、どれくらい自分が成長できるかという観点です。多くの人は、現在の自分の実力で十分に対応可能な仕事、もっと率直にいえば「ラクにこなせる仕事」をやりたがる傾向がありますが、そんなことを続けていたら成長できるわけがありません。これは「チャンスが来ない」と飲み屋でグチっている人の典型です。チャンスというのは事後的に把握されるものであって、前面に「チャンスですよ」と書かれてやってくるわけではありません。むしろ前面には「難しくてメンドくさい仕事」と書かれていることが多いわけですが、素通りしたのを振り返ってみれば背中に「チャンス」と書かれていた、ということです。


◎「チャンスは事後的に把握されるもの」?

チャンスというのは事後的に把握されるもの」という見方にも賛同できない。「前面に『チャンスですよ』と書かれてやってくる」場合も当然にある。例えば、サッカーW杯のメンバー発表が近づいた段階で日本代表に初召集された選手が、親善試合で先発出場の機会を得たとしよう。この場合「チャンスというのは事後的に把握される」だろうか。少し考えれば山口氏にも分かるはずだ。

週刊東洋経済の編集部は山口氏に自由に記事を書かせ過ぎではないか。任せておけば「いつも80点」を取ってくれるような書き手ではない。今回の記事には「60点」すら与えられない。しっかり補佐するつもりがないのならば、早期の連載打ち切りを検討すべきだ。


※今回取り上げた記事「アーティストに学ぶ超一流の仕事術 No.11(坂本龍一)努力が報われない人は仕事選びの戦略がない
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/20618


※記事の評価はD(問題あり)。山口周氏の評価も暫定でDとする。

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