2019年3月14日木曜日

「人生100年時代すぐそこ」と日経 辻本浩子論説委員は言うが…

人生100年時代は、もうすぐそこだ」と感じる人の気持ちが理解できない。だが、その前提で書かれた記事はよく目にする。14日の日本経済新聞朝刊オピニオン面に載った「中外時評~人生100年時代 支えられ上手に」という記事もそうだ。筆者の辻本浩子論説委員は冒頭で以下のように記している。
小石川後楽園(東京都文京区)
       ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

日本人の平均寿命が延びている。最新のデータでは男性が81.1歳、女性が87.3歳で、いずれも過去最長だ。100歳以上の人も、すでに約7万人いる。人生100年時代は、もうすぐそこだ



◎「90年」にも達していないのに…

日本人の平均寿命」が男女とも90歳にも達していないのに「人生100年時代は、もうすぐそこ」だと言えるのか。男性に至っては「平均寿命」が「81.1歳」なので「人生90年時代」さえ遠い。

「男女の平均寿命が100歳を超えたら人生100時代の到来」と仮定すれば、「人生100年時代はずっと先だ」。個人的には、自分が生きている間に「人生100年時代」は訪れないとみている。

ついでに、記事にいくつかツッコミを入れておこう。

【日経の記事】

次いで大事なのは、コミュニケーションだ。「介護は、する人とされる人との合作。双方のリスペクトが根底になければならない」。高齢社会をよくする女性の会の樋口恵子さんは話す。

だが実際はどうか。「家族が介護するのは当たり前、ありがとうすら言わない、という時期が長く続いた」。介護職員に対しても専門職としてみない古い意識が抜けないことがあるという。


◎そんな「時期」あった?

まず「高齢社会をよくする女性の会の樋口恵子さん」が引っかかる。せめて「NPO法人である『高齢社会をよくする女性の会』の樋口恵子理事長は~」ぐらいの情報は入れてほしい。

その「樋口恵子さん」の「家族が介護するのは当たり前、ありがとうすら言わない、という時期が長く続いた」とのコメントがさらに引っかかった。「そんな時期あった? あったとして、いつ終わったの?」とは思う。

家族が介護するのは当たり前、ありがとうすら言わない」という考えの人はいつの時代もいるだろう。一方で「介護」してもらった時に「ありがとう」と感謝を伝える人も絶えたことはないと思える。

現場を全て見ている訳ではないが「人それぞれ」なのは容易に推測できる。「樋口恵子さん」から見ると、「家族が介護する」時の状況は画一的で、ある時期に一気に変わってしまうものなのか。

今回の記事は、当たり前過ぎることを書いているのも気になった。辻本論説委員は日経の読者を中学生レベルだと見ているのか。一部を見ておこう。

【日経の記事】

では、どうしたらいいのか。「あいさつする、感謝する、というのは基本。元気なうちから自らボランティアなどで介護について学び、地域にネットワークを築くこともいい準備になる」。早くからできることも多いのだ。

一方で、いざ介護が必要になり家族と同居している場合は「『ながら介護』を受け入れることも大事」と樋口さんは話す。家族が仕事をしながら介護する、ときに休息を入れながら介護することだ。



◎今さら、それ?

中高年が多い日経読者に「あいさつする、感謝する、というのは基本」と教えてもとは思う。「ながら介護」の話も自明であり、役に立ちそうもない。「ときに休息を入れながら介護する」以外の選択肢はない。それに「24時間365日、休息なしに介護するのが当然」と思っている人は、ほとんどいないはずだ。

「外出する時は周囲をよく見て交通事故に遭わないように注意しましょう」といった話と似たレベルの助言を辻本論説委員は延々と続ける。日経読者向けには、もう少し高度な内容でいいのではないか。


※今回取り上げた記事「中外時評~人生100年時代 支えられ上手に
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190314&ng=DGKKZO42409340T10C19A3TCR000


※記事の評価はD(問題あり)。辻本浩子論説委員への評価もDを据え置く。辻本論説委員については以下の投稿も参照してほしい。

日経 辻本浩子論説委員「育休延長、ちょっと待った」に注文
https://kagehidehiko.blogspot.com/2016/10/blog-post_16.html

1 件のコメント:

  1. 私も氏の論評を読むにつけ
    何か浅い物を感じておりました。
    まるで電車の中吊り広告を見て思考されたかのような内容に感じます。
    もう少し目から鱗の論調をお願いしたいですね。

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