別府駅と「油屋熊八の像」※写真と本文は無関係 |
東洋経済には以下の内容で問い合わせを送った。
【東洋経済への問い合わせ】
京都府立大学文学部教授 岡本隆司様
週刊東洋経済 担当者様
週刊東洋経済10月13日号の「歴史の論理 東アジアと日本の運命 第92回 『生前退位』の怪 言語感覚に注意せよ」という記事についてお尋ねします。問題としたいのは以下のくだりです。
「とくに漢語をもって然りとする。誤用もあえて辞さない。今夏もおびただしかった災害に関していえば、いわく道路の『寸断』。いわく『義援金』の募集。もちろん『分断』『義捐(えん)』が正しい。根拠の乏しい常用漢字に盲従したり、漢字の誤用を定着させたりしているのは、『生前退位』の場合とまったく同断である」
「道路の『寸断』」は誤りで「道路の『分断』」と表記すべきだと岡本様は断言しています。本当にそうでしょうか。
デジタル大辞泉によると「寸断」とは「長く続いているものをきれぎれに切ること。ずたずたに切ること」で、「台風で国道が寸断される」という例文を付けています。
一方、「分断」については「一つにつながっているものを分かれ分かれに切り離すこと」と説明しており、例文は「がけ崩れで鉄道が分断される」となっています。デジタル大辞泉を信じれば「道路の『寸断』」は誤りとは言えません。
「赤っ恥な日本語づかい500連発」という書籍には以下の記述があります。
「『土砂崩れが発生し、道路が寸断された』という表現をよく聞くが、誤用というケースが多い。『寸断』とは細かく切ること、ずたずたにすること。『道路が寸断された』といえば、いたるところで土砂崩れが発生して何か所も道路がふさがった状態をいう。つまり、道路が一か所ふさがっただけでは『寸断』とはいわないのである」
この説明も納得できます。個人的にも「道路が寸断された」と聞くと、あちこちで道路が通れなくなっている状況をイメージします。ただ、この書籍の筆者も「何か所も道路がふさがった状態」であれば「道路の『寸断』」は誤用ではないとの立場です。
「道路の『寸断』」が誤用で「もちろん『分断』が正しい」という岡本様の説明は誤りではありませんか。問題なしとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。推測ですが、「道路が一か所ふさがっただけで『道路の寸断』と表現するのは誤りだ」と岡本様は言いたかったのではありませんか。しかし、そうは書いていません。
「どんな文章でも、見てもらうもの、公のものであって、新聞雑誌の記事はその最たるものであろう。にもかかわらず、醜陋(しゅうろう)な表現を多数の人々におしつけている、という自覚にも乏しい」と岡本様は記事の中で述べています。その岡本様自身も言葉に関する誤った認識を「多数の人々におしつけている」ように私には見えます。この見方は間違っていますか。
問い合わせは以上です。お忙しいところ恐縮ですが、回答をお願いします。
◇ ◇ ◇
追記)結局、回答はなかった。
※今回取り上げた記事「歴史の論理 東アジアと日本の運命 第92回 『生前退位』の怪 言語感覚に注意せよ」
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/19012
※記事の評価はD(問題あり)。岡本隆司京都府立大学文学部教授への評価も暫定でDとする。
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