2018年6月7日木曜日

安倍首相らを「ジジイども」と罵る河合薫氏の粗雑さ

女性筆者が女性問題を論じた記事だと、編集責任者は雑な内容でもそのまま載せたくなるのだろうか。日経ビジネスオンラインに河合薫氏が書いた「『女性省』構想は男たちの悪巧み~ショールームやアリバイ作りはいらない」という記事は問題が多すぎる。その粗雑さは、やはり女性問題を論じる女性筆者である水無田気流氏に通じるところがある。
甘木公園の桜(福岡県朝倉市)※写真と本文は無関係です

今回の記事ではまず「『女性省』構想は男たちの悪巧み」と見出しに取れる記述が見当たらない。その他の問題も含めて以下の内容で問い合わせを送ってみた。回答と併せて見てほしい。


【日経BP社への問い合わせ】

河合薫様 日経ビジネスオンライン 担当者様

『女性省』構想は男たちの悪巧み~ショールームやアリバイ作りはいらない」という記事(6月4日付)についてお尋ねします。

『女性省』構想は男たちの悪巧み」と見出しに取れる記述を記事の中で探してみましたが、見つかりません。これはいわゆる「カラ見出し」ではありませんか。違うとの判断であれば、どの記述から「男たちの悪巧み」と解釈したのか教えてください。

カラ見出しに当たる場合、「男たちの悪巧み」には根拠がないと考えてよいのでしょうか。記事では「先週、自民党の参院政策審議会が、女性に関する政策を総合的に推進する『女性省』の創設を検討していることがわかった」と記しています。これが「男たちの悪巧み」であれば、20人近い自民党の女性参院議員を排除して「『女性省』の創設」を打ち出したのでしょう。だとしたら自民党のやり方に問題ありと感じますが、記事を読むと問題があるのは記事の方だと思えてきます。

ついでで恐縮ですが、言葉遣いにも苦言を呈しておきます。

内閣支持率アップのための女性枠を設け、“ショーケース”に女性大臣を飾ったり、『女性』を持ち上げドヤ顔するジジイどもに辟易している」というくだりが引っかかります。「ジジイ」とは「年老いた男性。また、年老いた男性をののしっていう語」(デジタル大辞泉)です。こうした表現は好ましくないと思いませんか。

批判は大いに結構ですが、他者を侮辱するような言葉遣いは避けたいものです。「“ショーケース”に女性大臣を飾ったり」できるのは今の日本では安倍晋三首相だけなので、今回の記事では安倍首相を「ジジイども」に含めているはずです。特定の個人に対して、日経ビジネスオンラインという影響力の強いメディアの中で「ジジイ」と呼ぶのも頂けません。

さらに言えば、批判は事実に基づく形で展開されるべきです。今回の記事ではそれができていません。記事の一部を見てみましょう。

とどのつまり、『女性省』も、女性省という名の『ショールーム』でしかないのである。『ホラ、セクハラ問題とかで、女の人たちに嫌われちゃったし~』『そうそう。いろんな国にあるしさ~』『そうだよ、国連で言っちゃったし、世界のアピールにもなるぞ!』『年明けに“女性が輝く社会”の実現に向けて昼食会もやったしね』『よし、女性省だ!』『おう、女性省ね!』『とりあえずは参議院から意見書ってカタチで出したらどう?』『いいね』『うん、いいね』『女性省の考えは、いいね』ってことなのだろう

ってことなのだろう」と書いているので、これらのやり取りは河合様の想像なのでしょう。それで「女性省という名の『ショールーム』でしかないのである」と断定するのは問題です。

本来は、どういう形で意思決定したのかを取材して、そこから得た事実を基に批判すべきです。推測に頼るのであれば、断定的な批判を諦めるしかありません。今回の記事で言えば「女性省という名の『ショールーム』にしかならなさそうな気がする」ぐらいが限界でしょう。自民党の参院政策審議会での議論は、河合様の想像とは全く異なる真摯なものだった可能性もあります。なのに、想像に基づいていい加減なやり取りを再現し、批判を展開するのは正当な手法と言えるでしょうか。

問い合わせは以上です。お忙しいところ恐縮ですが、回答をお願いします。


【日経BP社からの回答】

平素は日経ビジネスオンラインをご愛読いただきまして、ありがとうございます。

この度は貴重なご意見をいただき、ありがとうございました。いただきましたご意見は編集部に確かにお伝えし、今後の編集方針の参考にさせていただきます。

今後とも弊社刊行物ならびにインターネットサービスをご愛顧賜りますようよろしくお願いいたします。


◇   ◇   ◇

実質的なゼロ回答なので、「『女性省』構想は男たちの悪巧み」は根拠の見当たらないカラ見出しと判断してよいだろう。

さらについでに、記事の結論部分の説得力のなさも指摘したい。

【日経ビジネスオンラインの記事】

男女が半分半分なのに、なぜ、政治家は男性が大半なのか? なぜ、女性政治家は活躍できないのか?

男性も女性も住みやすい社会、ストレートもLGBTも区別しない社会を目的に、それを実行するには「ナニが必要なのか?」「政治とはナニか?」

これまでその都度、自分なりの意見は書いてきた。でも、やはり今いちばん必要なのは「ケア労働」にもっと価値を見いだすことだと考える。女性省より「ケア労働省」。子育て、介護など、生きるための「労働」に価値を見いだす。

というわけで、まだ提案段階ではあるが、「女性省」には反対です。



◎解決につながる?

今いちばん必要なのは『ケア労働』にもっと価値を見いだすこと」だと河合氏は訴える。文脈から判断すると、それによって女性の政治家が増えて活躍できる上に、「ストレートもLGBTも区別しない社会」が実現できるのだろう。
佐世保駅前の白鷺像(長崎県佐世保市)
       ※写真と本文は無関係です

だが、人々が「ケア労働」に価値を見出すと女性政治家が増えるという因果関係が謎だ。「ストレートもLGBTも区別しない社会」との関係も容易には理解できない。河合氏には「風が吹けば桶屋がもうかる」的な経路が見えているのかもしれないが、説明はない。

河合氏の主張には、「男女が半分半分」ならば政治家も男女半々になるはずだ、あるいはなるべきだとの前提も感じるが、これも理解に苦しむ。「男女が半分半分」だとしても、政治家志望者が男女半々とは限らない。仮に政治家志望者は男性が8割だとすると「政治家は男性が大半」で何ら不思議ではない。

政治家志望の女性が少なくても、社会では男女がほぼ半々なのだから、政治家は半数を女性にすべきなのか。この場合、なぜ男女だけ社会の構成に合わせるのかという問題が生じる。

例えば、年齢は揃えなくていいのか。人口構成に対する比率で見れば、20代は政治家が少なく、60代は多いはずだ。これを年齢構成に合わせて割り当てる必要はないのか。

やりだすと際限はない。仮に最終学歴が大卒以上と高卒以下の比率が半々だとしよう。普通に政治家を選べば大卒以上が圧倒的に多くなる。だとして、高卒以下に半数の議席を割り当てるべきなのか。

こうした作業をどんどん進めていくのが理想なのか。それとも、年齢などは無視して男女の問題だけを考えるべきなのか。この場合、性別だけを特別視する理由はあるのか。

また、「女性省より『ケア労働省』」という主張も疑問が残る。実現すれば、労働問題に関する管轄を厚生労働省と「ケア労働省」で分けるのだろう。残業規制などの問題を、「ケア労働」に関しては「ケア労働省」が、それ以外の労働に関しては厚生労働省が受け持つのか。壮大な無駄が生じそうな気がする。「『ケア労働』にもっと価値を見いだす」ための方策が「ケア労働省」の創設だと河合氏は本気で思っているのだろうか。


※今回取り上げた記事「『女性省』構想は男たちの悪巧み~ショールームやアリバイ作りはいらない
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/060400162/?P=1&prvArw


※記事の評価はE(大いに問題あり)。河合薫氏への評価も暫定でEとする。


※投稿の冒頭で触れた水無田気流氏については以下の投稿を参照してほしい。

日経女性面「34歳までに2人出産を政府が推奨」は事実?
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/34.html

日経女性面に自由過ぎるコラムを書く水無田気流氏
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/blog-post_5.html

日経女性面で誤った認識を垂れ流す水無田気流氏
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_30.html

「男女の二項対立」を散々煽ってきた水無田気流氏が変節?
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/04/blog-post_58.html

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