2018年5月24日木曜日

FACTAでセクハラに関する珍説を披露した林美子氏

FACTA6月号に載った「セクハラ『もしあなたの娘なら』」という記事で、ジャーナリストの林美子氏が珍説を披露している。林氏に関しては問題のある書き手だと感じていたが、想定以上だ。記事に付けた「著者プロフィール」には「ジャーナリスト お茶の水女子大学博士課程前期(ジェンダー社会科学専攻)」と書いてある。大学で何をどう学べば、こんな記事が出来上がるのか。
原田駅(福岡県筑紫野市)を通過する列車
           ※写真と本文は無関係です

まず、以下の記述から見ていこう。

【FACTAの記事】

性犯罪者を対象にした再犯防止プログラムを実施し、900人以上の加害者に接してきた精神保健福祉士・社会福祉士の斉藤章佳さんは、加害者に共通するのは女性に対する「共感力の低さ」だと指摘する。

彼らは「ちょっとぐらい触れても女性の何かが減るわけではない」といった「認知の歪み」を持つ。前述の「一対一で会った女性は性暴力を受けてもしかたがない」も、歪みの一例である。斉藤さんは、それらの歪みの根底には男尊女卑の価値観が潜んでいるという。「男女は対等だという新たな価値観を、特に男性が学び直す必要がある」


◎「男女は対等」は「新たな価値観」?

男女は対等だという新たな価値観を、特に男性が学び直す必要がある」という「斉藤章佳さん」のコメントをそのまま使う気が知れない。日本国憲法でも男女の本質的平等を掲げている。「男女は対等」というのは「新たな価値観」なのか。日本の現役世代は「男女は対等」という社会的合意の下で生きてきたと思えるが、「斉藤章佳さん」や林氏は違うのか。それとも「70年ぐらいの歴史しかないのならば『新たな価値観』と言える」とでも考えているのか。いずれにしても無理がある。

男女は対等だという当たり前の価値観を、特に男性が学び直す必要がある」ぐらいならば、まだ分かるが…。

さらに引っかかったのが、記事の終盤だ。

【FACTAの記事】

セクシュアル・ハラスメントは権力の上下関係と性差別の重なるところに生まれる。どちらにも無自覚な男性に、被害に遭った女性の気持ちを想像するよう求めてもピンとこないだろう。

ではもし、被害者が自分の娘だったら、妻だったとしたらと想像してみてはどうだろう。自分の行為がセクシュアル・ハラスメントにあたるかどうかわからなかったら、立場が上の女性、上司や上司の妻、総理大臣の妻に対しても同じ行為をするか考えてみるといい。男性一人ひとりがそう考えてみることから、この社会の隅々に深く根を張った性差別の解消が、ようやく始まるのかもしれない。


◎色々と問題が…

セクシュアル・ハラスメントは権力の上下関係と性差別の重なるところに生まれる」という林氏の主張をまず受け入れてみよう。だとすれば、財務省の福田淳一事務次官によるセクハラは起きなかったはずだ。福田氏とテレビ朝日記者との間には「権力の上下関係」はない。財務省はテレビ朝日を支配しているわけではないし、福田氏は記者の上司でもない。
福岡県立久留米高校(久留米市)※写真と本文は無関係です

筆者も記者時代、何度も夜討ち朝駆けをし、男性の取材相手と『一対一』で会った」と林氏は記している。その時に「権力の上下関係」があったと感じているのか。だとしたら、そちらの方が問題だ。例えば経営者の不正を追及するためにその経営者と「一対一」で会うとしよう。その時に「権力の上下関係」があり、取材する自分は相手より下だと認識しているようではダメだ。御用メディアでもない限り、対等な立場だと自覚して取材してほしい。

今回の件ではテレビ朝日自体が「優越的な立場に乗じて行ったセクハラ行為は、当社として到底看過できません」と上下関係を認めている。これも感心しない。実質的に「財務事務次官様に取材させてもらっている」従属的な立場だったとしたら、それ自体が恥ずべきことだ。一段下の立場だと自ら認めるようなメディアに、権力監視の役割が期待できるだろうか。

話を戻そう。

セクシュアル・ハラスメントは権力の上下関係と性差別の重なるところに生まれる」とすると別の問題も生じる。例えば、役職のない若手社員が同期会を開いたとする。ここに「権力の上下関係」はない。ゆえに、この同期会で侮辱的な性的発言を繰り返す者がいても、セクハラにはならない。林氏の主張に従えば、セクハラは「権力の上下関係と性差別の重なるところに生まれる」のだから。だが、本当にそうだろうか。

自分の行為がセクシュアル・ハラスメントにあたるかどうかわからなかったら、立場が上の女性、上司や上司の妻、総理大臣の妻に対しても同じ行為をするか考えてみるといい」という説明も理解に苦しむ。

総理大臣の妻」を侮辱するような性的発言が平気でできる人はかなりいるだろう。そういう人は、他の人に同じような性的発言をしてもセクハラに当たらないのか。

ちなみに日経ウーマンでは2012年8月28日付の記事で以下のように記している。

セクハラというと、『上司や先輩社員が、部下や後輩社員に対して性的に不快感を与えるような言動・行動をすること』と、つまり、立場が上の人から下の人へ、というイメージがあるのではないでしょうか。確かに、セクハラはパワハラの形をとることも多いですが、上司に限らず同僚から、場合によっては部下から受けることもあり、必ずしも地位と連動しません

これは納得できる。一方、林氏の考えでは、上司に対してできる「行為」であれば、セクハラではないとの判断に至る。だとすると「部下から受ける」セクハラは原理的にあり得ない。この結論を林氏は支持できるのか。

「(権力の上下関係と性差別の)どちらにも無自覚な男性」という表現も引っかかった。これが男性全体を指すのなら決め付けが過ぎる。しっかり「自覚」している人も当たり前にいる。

「(男性全体のうち)どちらにも無自覚な男性」という意味にも取れるが、これにも問題が残る。「権力の上下関係」に「無自覚な男性」が「立場が上の女性、上司や上司の妻、総理大臣の妻に対しても同じ行為をするか考えて」みても何も変わらないだろう。「権力の上下関係」に「無自覚」なのだから、上司と部下で行動パターンを変えたりしないはずだ。「上司」だと対応が一変するのならば「権力の上下関係」をしっかり「自覚」していると判断できる。

お茶の水女子大学」まで行って「ジェンダー社会科学」を学ばなくても、この程度のことは分かりそうなものだが…。林氏は学び過ぎておかしな認識を持つようになったのか。いずれにせよ林氏の書く記事は要注意だ。今後も珍妙な解説が飛び出してきそうな予感がある。

※今回取り上げた記事「セクハラ『もしあなたの娘なら』
https://facta.co.jp/article/201806029.html


※FACTAの記事の評価はD(問題あり)。林美子氏への評価もDとする。同氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

事実誤認がある林美子氏の「声」を紹介するFACTAの謎
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/06/facta_23.html


※福田氏のセクハラ疑惑に関するFACTAの記事に関しては、以下の投稿も参照してほしい。

セクハラ問題で強引にテレ朝の経済部長を庇うFACTA
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2018/05/facta_23.html

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