筑後川橋と桜と菜の花(福岡県久留米市) ※写真と本文は無関係です |
【日経の記事】
「族議員」という言葉がある。批判的な人は政治の利益誘導を連想し、専門家を自負する当人は言葉の響きに反発する。実態はどうなっているのか。
4月13日朝、東京・永田町にある自民党本部で、農産物輸出に取り組む生産者や事業者を集めて会合が開かれた。「事業で日々感じていることをぜひ率直に話してほしい」。正面の「ひな壇」中央でそう話したのは小泉進次郎氏だ。
小泉氏が党農林部会長を退いて8カ月。引き続き農政の核にいるのは確認できたが、気がかりなこともあった。議員席に空きが目立ったのだ。2015年に部会長に就いたころは違った。環太平洋経済連携協定(TPP)対策の会合は大勢の出席者で室内は汗ばむほどで、小泉氏が促すと競い合うように発言した。
輸出のような「攻め」に関心のある議員は少なく、市場開放におびえる農家を「守る」ことばかり考えているのか。それを小泉氏に聞くと、答えは「アンフェアだ」。「TPPのような国論を二分する問題」と輸出を同列に並べるべきではないというのがその理由。さらに農業と政治のリアルな関係を語った。
「輸出するような農家は独立独歩で数が少なく、政治の関与はまずない。一方で多くの農家はもうかっていなくて、輸出もしていない。政治がそちらをメインにするのは当然だ」
ここで昔の農林議員の声を紹介しよう。谷津義男元農相は1986年に初当選したとき、竹下登幹事長に「食べ物のことをT字型で勉強してほしい」と言われたという。他分野は浅くていいが、農業は深く掘り下げろという意味だ。
谷津氏は「昔は大議論があった」と懐かしむ。党の会議で意見が対立すると、ときに灰皿が飛んだ。思わず相手の胸ぐらをつかみ、逆に背負い投げでたたきつけられた議員もいた。今はTPP関連の会合でさえ、言うだけ言うと部屋を出る議員が少なくない。
何が変わったのか。谷津氏は「(96年の衆院選で始まった)小選挙区制で専門家が育ちにくくなった」と話す。一般論としては正しいかもしれないが、制度だけが原因だろうか。
票を投じる側と政治との関係に目を転じてみよう。全国農業協同組合中央会(JA全中)によると、かつては議員への「突き上げ」が中心だった。市場開放への反対集会で煮え切らない態度の議員がいると、激しいヤジが飛んだ。
今そうした迫力は影を潜めた。農家の数が大幅に減ったうえ、「いくら自由化に反対しても無駄」という諦めムードが広がっているからだ。以前は農林部会に出ない議員に対して農協の幹部たちは「出席してこう発言してほしい」と迫ったが、今は「農業に関心を持ってください」と懇願することが多くなった。
選挙制度が変わって議員が1分野に特化するのが難しくなり、農家は政治を動かすことが難しくなるほど数が減った。小泉氏が応援する攻めの経営者もまだまだ少数派だ。だが農家が減って生産基盤が弱体化したことで、食料問題はむしろ切実になっている。
福島大の生源寺真一教授は「国民全体が農業の生産する食と田園風景の受益者であることを、政治は訴えるべきだ」と指摘する。これに関連し小泉氏は「都会のコンクリートジャングルの真ん中で農業を語っても心に響く」と話す。
正論だろう。だがそう言える人がもっと増えなければ、ものごとは動かない。農業が国民全体に関わるテーマであるのなら、すべての議員が「農林族」であるべきなのだ。
◇ ◇ ◇
気になった点を挙げてみる。
(1)「族議員」の定義は?
「小泉氏は農林族なのか」を論じるならば、「農林族」あるいは「族議員」を定義する必要がある。記事では「族議員」について「批判的な人は政治の利益誘導を連想し、専門家を自負する当人は言葉の響きに反発する」と書いているだけだ。これでは「小泉氏は農林族なのか」を考える上での基準が見当たらない。
宇佐神宮(大分県宇佐市)※写真と本文は無関係です |
吉田編集委員としては最初から「小泉氏は農林族なのか」を論じるつもりがないのかもしれないが…。
(2)「背負い投げ」で「大議論」?
「谷津氏は『昔は大議論があった』と懐かしむ。党の会議で意見が対立すると、ときに灰皿が飛んだ。思わず相手の胸ぐらをつかみ、逆に背負い投げでたたきつけられた議員もいた」という説明も苦しい。灰皿を投げたり、相手の胸ぐらをつかんだり、背負い投げで叩きつけたりするのは、そもそも「議論」とは言わない。
「大議論」と言うならば、議論が激しかった様子を伝えてほしい。「背負い投げでたたきつけられた議員もいた」といった話を生かすならば、「谷津氏」のコメントは「昔は暴力に訴えることも珍しくなかった」などでないと苦しい。
(3)議員は農業に関心が乏しい?
「以前は農林部会に出ない議員に対して農協の幹部たちは『出席してこう発言してほしい』と迫ったが、今は『農業に関心を持ってください』と懇願することが多くなった」と書いていあると、今の議員は農業に関心が薄いように思える。
一方、記事には「環太平洋経済連携協定(TPP)対策の会合は大勢の出席者で室内は汗ばむほどで、小泉氏が促すと競い合うように発言した」との記述もある。2015年の話なので、今と大きな違いはないはずだ。
議員たちは農業に関心があるのかないのか、結局よく分からない。「15年時点では関心があったが、その後に低下した」と吉田編集委員が考えているのならば、そう書くべきだ。
(4)どんな「食料問題」がある?
記事の終盤になると漠然とした話ばかりになってしまう。「農家が減って生産基盤が弱体化したことで、食料問題はむしろ切実になっている」と言うものの、どんな「問題」があるかは教えてくれない。
「国民全体が農業の生産する食と田園風景の受益者であることを、政治は訴えるべきだ」という「福島大の生源寺真一教授」のコメントもあまり意味がない。「国民全体が農業の生産する食と田園風景の受益者である」との主張に異論はないが、それを国民が受け入れたからと言ってどうなるものでもない。もっと具体性のあるコメントを使ってほしかった。
(5)「すべての議員が『農林族』であるべき」?
記事では「農業が国民全体に関わるテーマであるのなら、すべての議員が『農林族』であるべきなのだ」との結論を出している。吉田編集委員が「農林族」「族議員」の定義を示していないので、「族議員」は「特定分野の利益を代弁し、関係省庁に強い影響力を行使する国会議員」(大辞林)であり、「農林族」とは「農林」分野の「族議員」を指すとしよう。
有明海(佐賀県太良町)※写真と本文は無関係です |
全ての国会議員が「農林分野の利益を代弁し、関係省庁に強い影響力を行使する」のは、そんなに好ましいことなのか。「全ての国会議員が農業に関心を持つべきだ」と訴えたいのならば、そう書けば済む。わざわざ「農林族」を使うと、説得力の乏しい結論になってしまう。「族議員とは特定業界の利益代弁者ではない」と考えるならば、「族議員とは何か」に関して吉田編集委員の見解を明らかにすべきだ。
「自民党本部で、農産物輸出に取り組む生産者や事業者を集めて会合が開かれた」時に「小泉進次郎氏」から話が聞けたので「これで『風見鶏』を書けないかな」と吉田編集委員は考えたのかもしれない。それが出発点でも問題はないが、「記事で何を訴えるか」はもっとしっかり検討すべきだ。
※今回取り上げた記事「風見鶏~小泉氏は農林族なのか」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180429&ng=DGKKZO29937060X20C18A4EA3000
※記事の評価はD(問題あり)。吉田忠則編集委員への評価はDを据え置く。
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