2017年10月30日月曜日

「リベラルとは何か」をまともに論じない日経 大石格編集委員

29日の日本経済新聞朝刊総合3面に載った「風見鶏~『リベラル』とは何か」という記事に「リベラルとは何か」の答えを求めて読むと落胆が避けられない。筆者の大石格編集委員は「リベラルとは何か」をまともに論じてはいないからだ。まず、書き出しからしばらくは「リベラル」と関係ない話が延々と続く。
天ケ瀬温泉(大分県日田市)
       ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

日本経済新聞の旧名とよく似た「中外商業」という名称の私立校がかつてあった。卒業生のひとりが、のちに首相になる三木武夫である。三木の出身地である徳島県阿波市の土成歴史館で教えてもらった。

東洋学園大学の櫻田淳教授によると、自民党の源流は(1)吉田茂らの反共・自由主義(2)岸信介らの民族主義(3)田中角栄らの地域振興――の3つである。

クリーン三木と金権田中は政敵だったが、ふるさとを豊かにしたい一心で国政に打って出たという意味では、三木も(3)に属する。生家を訪ねると、あきれるほどのぼろ家だった。

三木は戦後、保守の二大勢力である自由党にも進歩党にも加わらず、国民協同党という小党をつくった。掲げたのが「中道政治の確立」である。社会党首班の片山哲内閣で与党の一角を占め、保革両勢力の緩衝材的な役割を担った。

保守合同を経て、1974年に政権に就くと、独占禁止法の強化など弱者保護に軸足を置いた。三木が亡くなった前後から、自民党は競争重視の新自由主義的な色彩を強め、いま三木的な要素はほとんど見当たらなくなった。


◎「三木武夫」の話は要る?

上記のくだりは「リベラルとは何か」と基本的に関係ない。「掲げたのが『中道政治の確立』」だから三木は「リベラル」ではないようだし、ここまで「リベラル」という言葉も出てこない。

続きを見ていこう。

【日経の記事】

そうした動きにやや遅れて、冷戦の終結で存在意義を失った左翼陣営で新たな看板づくりが始まった。社会党の改革派が盛んに唱えたのが、「中道リベラル」である。今回の選挙で「リベラル勢力の結集」を訴えた立憲民主党の赤松広隆氏はそのひとりだった。



◎やはり要らない「三木武夫」の話

ようやく「リベラル」が出てきた。「リベラル」を論じるなら、「左翼陣営で新たな看板づくりが始まった」話から始めれば十分だ。やはり「三木武夫」の話は要らない。
キリンビール福岡工場(朝倉市)のコスモス
      ※写真と本文は無関係です

続いての記述は誤りだと思える。

【日経の記事】

自民党が右傾化したことで空白になった中道を取り込む。この戦略は、赤松氏が参加した民主党~民進党でも続けられたが、なかなか花開かなかった



◎民主党は「花開かなかった」?

民主党は2009年の衆院選で圧勝して政権を獲っている。「花開かなかった」とは言い難い。

ここまで「リベラルとは何か」を論じないまま記事の約半分を使ってしまった。それらしき話がやっと出てくるのが以下のくだりだ。


【日経の記事】

今回の衆院選で、立憲民主党は19.8%と自民党(33.2%)に次ぐ比例票を得た。「リベラルに軸足を置いて中道までを取り込んだ」。衆院選を無所属で戦った江田憲司氏はこう分析する。「枝野(幸男代表)は男に見える」と持ち上げた石原慎太郎氏のような異なる立場からの声援もブームを後押しした。

自民党内でリベラルとされてきた派閥「宏池会」を率いる岸田文雄政調会長に立民リベラルとの違いを聞いてみた

イデオロギーや主義主張に拘束されず、徹底した現実主義が宏池会の本質。経済重視・軽武装も最初からそれありきではなく、国民の豊かさや安全のためにどうあるべきかで政策がつくられてきた」

安保法に賛成が保守で、反対がリベラルなのではなく、ときどきにいちばんよい結論を出すのがリベラルという趣旨だろうか

枝野氏も自身の立ち位置について同じような説明をする。

われわれは右でも左でもない。伝統を守り、漸進的な改革を求めていく。困ったときはお互いさまというのが日本。安倍晋三首相のいう伝統は明治維新以来たかが150年の伝統。こちらは『和をもって貴しとなす』だ」


岸田氏にしても、枝野氏にしても、単純な「保守VSリベラル」の構図に持ち込まない方が得策との判断があるのだろう。


◎「立民リベラルとの違い」は?

やっと「リベラルとは何か」の話が少し立ち上がってきたが、内容は物足りない。まず宏池会と「立民リベラルとの違い」がよく分からない。
大宰府政庁跡(福岡県太宰府市)※写真と本文は無関係です

イデオロギーや主義主張に拘束されず、徹底した現実主義が宏池会の本質。経済重視・軽武装も最初からそれありきではなく、国民の豊かさや安全のためにどうあるべきかで政策がつくられてきた」というのは「宏池会」の説明にはなっているかもしれないが、「立民リベラルとの違い」を説明している訳ではない。

強引に読み取れば「イデオロギーや主義主張に拘束され」るのが「立民リベラル」なのか。しかし、立憲民主党の枝野代表は「われわれは右でも左でもない」と言っているらしい。この辺りを整理してくれると助かるのだが、大石編集委員は何の解説もしてくれないし、「リベラルとは何か」の手掛かりも見えてこない。

そもそも大石氏は記事の中で「自民党が右傾化したことで空白になった中道」と書いている。ならば、自民党には「リベラル」はもちろん「中道」も不在のはずだ。なのに自民党の「宏池会」をリベラルの一派として描いている。これは苦しい。

「(宏池会としては)安保法に賛成が保守で、反対がリベラルなのではなく、ときどきにいちばんよい結論を出すのがリベラルという趣旨だろうか」ぐらいの漠然とした感想を述べただけで、「リベラルとは何か」を深く掘り下げないまま、記事は終盤に向かっていく。

【日経の記事】

三木に話を戻すと、自身のことをニューライトと称した。自民党内で傍流に甘んじることが多かっただけに、リベラルが持つ左寄りの語感と距離を置き、あくまでも自民党の一翼と強調したかったのだろう。

政治の世界では、ありふれた単語が独自の意味を持つことがよくある。リベラルはその一例であり、一橋大の田中浩名誉教授は「特殊日本的な意味がさまざまに付加されている」と説明する。この読み解きは一筋縄ではいかない。



◎「一筋縄ではいかない」で終わり?

再び三木の話が出てくるが、やはり「リベラル」と関係がほぼない。「中道政治の確立」を掲げ「自身のことをニューライトと称した」政治家がリベラルと距離を置いていたとして、それが「リベラルとは何か」を探る材料になるのか。繰り返しになるが、この記事に三木の話は必要なかったと思える。

結局「リベラルとは何か」という問いに対する答えは「この読み解きは一筋縄ではいかない」だ。「一筋縄ではいかない」ことにどんな答えを大石編集委員が見出すのかを期待していたのに、期待外れに終わった。

リベラル」という言葉に「特殊日本的な意味がさまざまに付加されている」のならば、それを詳述してもいい。だが、そうした試みもない。「リベラルとは何か」との関係が乏しい三木の話で行数を稼いで、「この読み解きは一筋縄ではいかない」で終わらせる大石編集委員には、「リベラルとは何か」を論じる気など最初からなかったのだろう。


※今回取り上げた記事「風見鶏~『リベラル』とは何か
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20171029&ng=DGKKZO22847030Y7A021C1EA3000

※※記事の評価はD(問題あり)。大石格編集委員への評価もDを維持する。大石編集委員については以下の投稿も参照してほしい。

日経 大石格編集委員は東アジア情勢が分かってる?
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_12.html

ミサイル数発で「おしまい」と日経 大石格編集委員は言うが…
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/12/blog-post_86.html

日経 大石格編集委員は「パンドラの箱」を誤解?(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/05/blog-post_15.html

日経 大石格編集委員は「パンドラの箱」を誤解?(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/05/blog-post_16.html

日経 大石格編集委員は「パンドラの箱」を誤解?(3)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/05/blog-post_89.html

どこに「オバマの中国観」?日経 大石格編集委員「風見鶏」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/08/blog-post_22.html

「日米同盟が大事」の根拠を示せず 日経 大石格編集委員
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/11/blog-post_41.html

大石格編集委員の限界感じる日経「対決型政治に限界」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/07/blog-post_70.html

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