2017年3月19日日曜日

金融庁批判の資格なし 東洋経済の西村豪太編集長

週刊東洋経済の西村豪太編集長が3月25日号の「編集部から」というコラムで金融庁の取材対応を批判していた。しかし、西村編集長に金融庁を批判する資格はない。他者を批判するならば、まず自らがメディアとしての責任をきちんと果たすべきだ。間違い指摘を黙殺して闇に葬り去る対応を良しと判断した西村編集長は、他者への批判が自分に跳ね返ってくることを自覚してほしい。
観世音寺収蔵庫(福岡県太宰府市)※写真と本文は無関係です

コラムの全文は以下の通り。

【東洋経済の記事】

「金融界の常識は世間の非常識」ということは数々あります。たとえばメガバンクではほとんどの行員が50歳代前半で銀行から「卒業」させられます。出向や転籍など道はいろいろですが、違和感を覚えます。顧客がどんどん高齢化しているのに、銀行だけ「キープ・ヤング」を守り続けられるでしょうか。

例をもう一つ。金融庁に長官インタビューを申し込んだところ、広報は「発売前にゲラを見られない場合、例外なく取材は受けていない」との返事。いろいろ交渉し、最終的には多忙を理由に断られました。取材相手に発言の上書きを許していてはジャーナリズムは成立しません。「絶対権力」として業界に君臨しているうちに世間と感覚がずれてきたのでは。(西村)

◇   ◇   ◇

取材相手に発言の上書きを許していてはジャーナリズムは成立しません」と西村編集長は志の高さを誇ってみせる。その一方で、記事中の明らかな誤りを握りつぶすのは「ジャーナリズム」としてあるべき姿なのか。

間違い指摘を無視して記事中の誤りを「なかったこと」にする西村編集長の「感覚」は世間とずれてはいないのか。自らのプライドを守るためにミス黙殺という選択をしたのならば、他者の批判は控えるべきだ。それが「ジャーナリズム」の世界で道を踏み外した者として守るべき最低限の礼儀だ。

ついでに言うと「金融庁」を「金融界」に含めるのは違和感がある。「金融界」とは「銀行・信用金庫・保険会社など金融業者の社会」(デジタル大辞泉)だ。金融庁はその外側にいると思えるのだが…。


※記事の評価はD(問題あり)。西村豪太編集長への評価はF(根本的な欠陥あり)を据え置く。西村編集長に関しては以下の投稿も参照してほしい。

道を踏み外した東洋経済 西村豪太編集長代理へ贈る言葉
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/12/blog-post_4.html

「過ちて改めざる」東洋経済の西村豪太新編集長への手紙
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_4.html

訂正記事を訂正できるか 東洋経済 西村豪太編集長に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_25.html

「巨大地震で円暴落」?東洋経済 西村豪太編集長のウブさ
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/01/blog-post_19.html

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