九州大学伊都キャンパス(福岡市西区) ※写真と本文は無関係です |
まず、「それぞれ固有の事情から没落の憂き目に遭う三者の姿があった」との取材班の見立てに反して「司法エリートの没落」は「裁判官」では起きていないように見えた。「Part 2 裁判官の黒い秘密~中央の司法官僚に支配される裁判官たちの知られざる孤独」という記事では、以下のように記している。
【ダイヤモンドの記事】
1月16日、今年裁判官になる78人に最高裁人事が発令され、北は札幌から南は熊本まで全国各地の地方裁判所に配属された。
年齢22~37歳の78人は、難関の司法試験に合格し、司法研修所(埼玉県和光市)で1年間の司法修習を終えた1762人の中でも、成績上位層のエリートたちだ。中堅弁護士事務所に就職する司法修習生は「裁判官志望者は五大法律事務所の内定も当然のように取っていた。引く手あまたでうらやましい」と嘆息する。
◎「20年目で年収2000万円」でも「没落」?
記事によると、裁判官とは「五大法律事務所の内定」を蹴ってでもなる価値があるようだ。記事に付けたグラフによると、裁判官になって「20年前後」で「年収2000万円台へ」乗せるらしい。
シタデル(城塞)から見たナミュール(ベルギー)市街 ※写真と本文は無関係です |
これで「没落」と言えるのかと取材班に聞けば、「司法の独立が危うくなっているという意味で『没落』なんだ」と答えそうな気がする。「安倍政権が判事人事に介入か 最高裁の癒えないトラウマ」という記事では「最高裁がうたう司法の独立。その大義は今、巨大な政治権力を前に有名無実化している」と訴えている。記事の最後には「最高裁は司法のとりでではなく、このまま“権力のとりで”に成り下がってしまうのだろうか」とも書いている。
だが、「最高裁」が「“権力のとりで”に成り下がって」いるのは最近の話ではない。それは取材班が記事の中でも触れている。一部を引用してみる。
【ダイヤモンドの記事】
元裁判官として最高裁と裁判所の内幕を暴いた『絶望の裁判所』著者の瀬木比呂志氏(明治大学法科大学院教授)は「石田人事の後遺症は今も強く尾を引いている。最高裁は石田人事以降、内部統制を強め権力に弱腰になっている。そういう意味で日本の最高裁は、基本的に権力補完機構にすぎない」と指摘する。
◎昔から“権力のとりで”では?
このくだりを信じれば「石田人事以降」50年近くも最高裁は「権力補完機構にすぎない」存在だったはずだ。だとすれば、「このまま“権力のとりで”に成り下がってしまうのだろうか」との問題提起はおかしい。既に「成り下がった」長い歴史を持っている。それを裁判官の「没落」と捉えるのであれば、「没落」したのはずっと前の話だ。
※今回取り上げた特集「弁護士・裁判官・検察官~司法エリートの没落」
http://dw.diamond.ne.jp/articles/-/19394
※この特集に関しては他にも気になる点があった。それらは別の投稿で触れる。
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