ナミュール(ベルギー)市街 ※写真と本文は無関係です |
記事の当該部分と、日経に送った問い合わせの内容は以下の通り。
【日経の記事】
アジアは1986年のフィリピンを皮切りに台湾、韓国、タイなどが次々と民主化の波に洗われた。ミャンマーも88年、スー・チーを指導者に大規模な民主化運動が起きたが、軍の鎮圧で数千人が命を落とし挫折した。
運動を主導した「88世代」は政治犯として獄中にいたため次世代の育成は滞った。「先輩から学ぶ機会がなかった。落差を埋めないと」とゼヤー・トー。スー・チー自身も少数派のイスラム教徒の人権問題などで批判に遭う。NLDナンバー2のウィン・テイン(75)は「民主化の定着に10年は必要だ」と話す。
タイで軍政が復活し、フィリピンは大統領が強権を振りかざすなど、先発国には揺り戻しもみえる。アジアが民主化へ歩み始めて30年。若い世代が増えるなか、その価値を社会全体でどう再確認するか。アジアの政治体制は新たな岐路に差し掛かっている。
【日経への問い合わせ】
19日の朝刊1面に載った「アジアひと未来~次世代を導く(5)」という記事についてお尋ねします。記事の中に「アジアが民主化へ歩み始めて30年」との記述がありますが、アジアの民主化の歴史はもっと長いのではありませんか。日本が民主化へ歩み始めた時期については意見が分かれるかもしれませんが、1925年には25歳以上の男性全員に選挙権を与える普通選挙法が成立しています。少なくとも「民主化へ歩み始めて30年」ではありません。
日本がアジアに属さないとは思えませんが、日本を除外した場合でも「アジアが民主化へ歩み始めて30年」とは言えません。インドでは1950年代以降、基本的に議会制民主主義を維持しています。トルコも1950年には選挙による政権交代を実現させました。「アジアが民主化へ歩み始めて30年」という説明は誤りと考えてよいのでしょうか。正しいとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。
日経では読者からの間違い指摘を無視する対応が常態化しています。日本を代表する経済メディアとして責任ある行動を心がけてください。
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第2回と併せて考えると、「アジアひと未来」の担当デスクには基本知識が欠如しているのだろう。それを声高に責めるつもりはない。そういうこともある。問題なのは、日経の顔とも言える朝刊1面の連載で初歩的なミスが続いたという点だ。
朝刊1面の囲み記事であれば、局次長や複数の部長が目を通しているはずだ。もちろん取材班の記者・デスクも読んでいる。さらには整理部や記事審査部もチェック役を果たす。編集局の10人以上が「記事に問題はないか」との意識を持って字面を追っている。なのに、この程度の間違いを見逃してしまう。そこが怖い。
誰かが指摘したのに直さなかった可能性もあるが、仮にそうならばさらに末期的だ。救いようがない。
「インドネシアを『アジア最大の多民族国家』と呼んだのは誤りではないか」との問い合わせを日経は例によって無視。今回も回答が届く可能性はゼロに近い。基本知識の欠如が疑われるミスを繰り返し、読者から指摘を受けても黙殺してやり過ごす。そんな日経が追求するという「クオリティ・ジャーナリズム」に何の意味があるのだろうか。
※記事の評価はE(大いに問題あり)。今回の連載については以下の投稿も参照してほしい。
「アジア最大の多民族国家はインドネシア」と誤解した日経
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/01/blog-post_15.html
リオ・ハリアントの苦境無視が悲しい日経「アジアひと未来」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/01/blog-post_16.html
※結局、回答はなかった。
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