7月9日の日本経済新聞朝刊総合3面に欧州総局長の赤川省吾氏が書いた「風見鶏~ポスト・プーチンの幻想」という記事は出来が悪かった。中身を見ながら赤川氏に記事の書き方を助言したい。まず長すぎる昔話を見ていこう。
宮島連絡船 |
【日経の記事】
ロシアの民間軍事会社ワグネルの反乱で、プーチン体制を支える軍・治安組織に亀裂があることが露呈した。ロシアはどこに向かうのか。東西冷戦下の共産諸国で起きた混乱を基に展望してみる。
今年2月、冷戦下のソ連・東欧ブロックを熟知する政治家が静かに人生の幕をおろした。ハンス・モドロウ、95歳。共産圏の中核国だった東ドイツの独裁政党・ドイツ社会主義統一党(SED)の幹部で、盟主ソ連を含む東側陣営に幅広い人脈を築いた人物である。
穏健派だったモドロウ氏の別名は「東独のゴルバチョフ」。東欧革命のうねりが最高潮に達した1989年、ドレスデン県第1書記(県知事)から閣僚評議会議長(首相)に就く。沈みゆく共産圏を立て直そうともがいたものの、まもなく東側陣営は瓦解した。
実はモドロウ氏をもっと早い段階で東独の国家指導者に担ぎ、ペレストロイカ(改革)を掲げるソ連指導者ゴルバチョフ氏とタッグを組んで共産圏を再興するという極秘計画があった。
策を練ったのは東独の秘密警察・国家保安省の退役将校。ソ連国家保安委員会(KGB)の協力のもとに当時、権勢を振るっていた保守強硬派の国家指導者ホーネッカーに対するクーデターを画策した。87年、首謀者が秘密裏に集まり、モドロウ氏に決起を促したと噂される。
生前のモドロウ氏に真偽を確かめたことがある。
KGB高官らに求められて顔を出したことは認める一方、「体制転覆の話はしていない」。経済政策を巡る議論をしただけという。「私が国家を率いるのにふさわしい人物かクーデター派が見極める会合だったのだろう」(モドロウ氏)
結局、モドロウ氏は動かなかった。歴史に「もしも」は禁物だが、決起したら失敗していた。反乱の兆しをつかんだホーネッカーは、忠誠を誓う主流派の治安要員に監視させていた。
クーデター計画は幻に終わったが、国家の先行きへの危機感からエリート層が一枚岩でなくなった状況はいまのロシアに似る。東独は89年、市民が西独国境に押し寄せてベルリンの壁が崩壊した。
この策が練られた頃、ロシアのプーチン大統領はKGB職員として東独に駐在していた。上司が絡む密計を知っていた可能性がある。そうでなくてもエリートが割れれば指導者の威信に傷がつくことは東欧革命で自らが体験したはずだ。
◎バランスを考えよう!
ここまでの昔話で記事の3分の2を占める。さすがに長い。ベテランの筆者が書くコラムは昔話が長くなりやすい。「生前のモドロウ氏に真偽を確かめたことがある」という話をしたくて長々と思い出を語ってしまったということか。それでも「ロシアはどこに向かうのか」をこの昔話からきちんと「展望」できているならまだいい。しかし、そうはなっていない。
続きを見ていく。
【日経の記事】
疑心暗鬼の権力者は独裁化する。ある欧州主要国で外交政策を担当する与党重鎮は心配する。「ロシアはスターリン時代に逆戻りするかもしれない」
プーチン体制はいつまで続くのか。東独と異なり混乱を恐れるロシア国民は民衆蜂起ではなく耐乏を選ぶとの見立てが欧州では多い。軍・治安組織でワグネルに続く反逆が起きるかがカギを握る。
反乱は保守的すぎる独裁者の「終わりの始まり」となるだけで民主化へのカウントダウンとは限らない。ポスト・プーチンでただちに民主国家になるというのは甘い幻想だ。
◎だったら何のために…
かつての「東ドイツ」と同じ道をロシアが辿るという見方ならば昔話をするのも分かる。しかし「東独と異なり混乱を恐れるロシア国民は民衆蜂起ではなく耐乏を選ぶとの見立てが欧州では多い」「ポスト・プーチンでただちに民主国家になるというのは甘い幻想だ」と赤川氏は書いている。だったら何のために「東ドイツ」の話を長々としたのか。
記事の終盤も見ておこう。
【日経の記事】
次の権力者がウクライナと停戦しても欧州は以前のようなロシア融和策に戻らない。「全占領地の返還」と「戦争犯罪の謝罪」がロシア制裁を解除する条件だと外交当局者は口をそろえる。高いハードルにより制裁の半ば恒久化が視野に入る。
中国はデリスキング(リスク低減)、ロシアはデカップリング(分断)。それが主要7カ国(G7)の外交指針となり、ロシア貿易はさらに制約が強まる。ロシアでの資源権益にこだわる日本に独裁国家と手を切る覚悟はあるだろうか。
◎この結論では…
コラムを書く時は「何を訴えたいのか」をまず考えてほしい。それを結論部分に持ってくる。今回の記事で言えば「ロシアでの資源権益にこだわる日本に独裁国家と手を切る覚悟はあるだろうか」だ。結論に説得力を持たせられるように記事を組み立てるのが実力のある書き手だ。残念ながら赤川氏はその域に達していない。
「ロシアでの資源権益にこだわる日本に独裁国家と手を切る覚悟はあるだろうか」といった話は最後に取って付けたように出てくる。赤川氏には「モドロウ氏」の昔話をしたいという考えが最初にあり、結論部分を適当に作って記事を締めたのだろう。だから昔話がやたらと長く、その昔話が結論部分とリンクしていない。それでは説得力のあるコラムにならないことに赤川氏は気付いていないのだろうか。
※今回取り上げた記事「風見鶏~ポスト・プーチンの幻想」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20230709&ng=DGKKZO72611600Y3A700C2EA3000
※記事の評価はD(問題あり)。赤川省吾 欧州総局長への評価もDとする。